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K’sファイルNO.81:ご挨拶並びに感謝

K’s ファイル NO.81 :ご挨拶並びに感謝   K’s ファイル読者の皆様へ                        2018 年 12 月 27 日、木曜日   本年は、例年にも増してスポーツ界に於いて不祥事、事件、事故と沢山の話題、問題が噴出、露呈致しましたが、それ故、スポーツ即ち不祥事というイメージが毎年右肩上がりの傾向にある事も事実です。此れも一昔前とは異なり、競技スポーツの不祥事、事件を TV 、スポーツマスメデイアが報道の域を超えた、よりスキャンダラスな編集を加えた番組商品としてビジネス化し、各社が競い合う事から事の次第を一層エスカレートしてしまって居るケースが非常に多く見受けられ、憂慮に堪えない事態を迎えています。 これらの現象もオリンピック大会そのものがビジネスと化し、競技選手もプロ化した副産物であるとみなせば、東京オリンピック開催に向けた便乗商法の一つでもあると言えそうです。特に我が国に於ける競技スポーツ部門は、伝統的な社会構造により育成、指導、運営、管理がなされてきましたが、この構造的な問題がグローバルな国際スポーツ社会において機能しなくなり、大きな曲がり角に差し掛かっている事も問題の根源の一つであろうかと思う次第であります。 2018 年の K’s ファイルは、 NO.34 ~ NO.80 迄時事の流れに沿った課題、テーマで述べさせていただきました。おかげ様をもちまして、各テーマには、毎週多くの読者の方々からのアクセスを頂きました事を心よりお礼申し上げます。 また拙い文章のため、読者の皆様には、読みづらい箇所、理解しづらい部分が多々あり、多大なるご迷惑お掛け致しましたことをお詫び申し上げます。 何事も問題の本質に目を背けていたのでは、いつまで経っても我が国のスポーツ・アドミニストレーションのレベルの向上に至らないのが現状と現実です。 どうか読者の皆様の勇気あるその一言、その一歩前に踏み出す勇気が今日のスポーツ界、競技スポーツ界の襟を正す道標となる事を忘れないで下さい。 思えば、 2017 年 4 月より本 K’s ファイルを執筆致し始めまして、 NO.80 を持ちまして総文字数は約 34 万字に達しました。これは筆者にとり、

K’sファイルNO.80:日本の冬の風物詩大学箱根駅伝は誰の物 無断転載禁止

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K’s ファイル NO.80 :日本の冬の風物詩大学箱根駅伝は誰の物 無断転載禁止   第五弾 もう一つの大学箱根駅伝の疑問と実態   1.大学と学生選手( Student Athlete )の関係 ①大学生である事のステータス・シンボルとは 此処では、「学生とは」が明文化されていない学校教育基本法、また統一されない日本の大学競技スポーツの競技以外での規則、ルール、罰則に付いての実情を取り上げます 。 このような状況下、大学競技スポーツは、規則、罰則の下で勝敗が決せられます。しかし、競技以外には、規則、罰則が無いに等しい状態の為、学生選手の扱いが公平(フェアー)でない事が最大の問題の一つであります。 特にこの度のテーマの箱根駅伝(他の競技スポーツも同様)では、これが顕著になり学生競技スポーツの根幹を崩壊させてしまっていると申し上げても過言でありません。 問題は、「学生とは」何を持って学生と定義( Definitions )するのか、できるのかを明記したものが我が国の教育法に見当たらない事です 。 大学競技スポーツ及び学生選手を語る前に、学生とは何を持って学生と認められるかを何故誰もが問題視せず、大学競技スポーツを語ろうとするのでしょうか。 此の事は、教育の一環としての根幹をなすものであると筆者は確信する次第です。筆者の講義授業を受講する学生選手達の多くが、「箱根駅伝に出場する為に本学に来ました」と別に学生の資格が無くとも箱根駅伝にさえ出場できる機会が与えられればそれでよい、その為に自分は特待生で迎えられている。と公言する学生達が増殖している事も事実です。 特に学業成績を問わない大学では、このような学生選手が多数存在すると言うことを実体験しました 。何故このような貧困な教育機関と学生選手達が我が国の最高学府として存在するのでしょうか。 この事から、日本人学生選手に対しても、外国人選手に対しても、大学法人の経営者の見識如何によりいかようにも本来あるべき「大学学生」の姿を捻じ曲げられているのが我が国の現状と現実です。これらは、まさに大学のス