投稿

9月, 2019の投稿を表示しています

K’sファイルNO.118:②国籍を提供した外国人選手による日本代表

イメージ
K’s ファイル NO.118 :②国籍を提供した外国人選手による日本代表 無断転載禁止 お知らせ: K's ファイルは月2回、第2、4木曜日掲載予   目次 ~バブル経済による伝統的なスポーツ文化の破綻~  1.日本固有の企業スポーツの発祥から今日へ 2.スポーツ界にもたらした黒船の御来航 3.ラグビーワールドカップ開催はまさにハロウイーンか 4.外国人選手の導入とその歩み ~国際大会での日本代表選手、テイームの在り方~  1.スポーツ庁は国民、社会に明快な指針と説明が必要 2.海外の状況と外国人選手が何故日本に来たがるか     ~バブル経済による伝統的なスポーツ文化の破綻~   1.日本固有の企業スポーツの発祥から今日へ 本来企業スポーツは、1964年の五輪東京大会を成功させる一環として当時国の施策により、日本の代表的な大手企業に特定の競技スポーツ選手、テイームスポーツの育成を主たる目的で託しスタートしたのが原形です。 会社、企業にとって競技スポーツ選手、テイームを保有するメリットは、当時は主に生産業を主力とした企業が主体であったので、会社、企業を代表する選手達、テイームが活躍する事で生産効率を上げ、企業組織の指揮高揚、一体感を高める為に大いに貢献したのも事実でした 。 その後、時代の進歩と共に第一次産業 ( 生産業 ) から、第二次産業のオートメーション化(大量生産)へと、そして第三次産業(サービス業)に移行して参るにつれて、スポーツ選手、テイームは、段々と伝統的な企業スポーツのコンセプトから新しい企業スポーツのコンセプトとして、 ①伝統を維持したい会社、企業 ②会社、製品の広告塔として利用、活用を主たる目的とした会社、企業 ③その中間の中途半端型―という三極化の方向に今日まで参ってきた。 近年では、企業スポーツの存続の意義まで見失い1990年代のバブル崩壊後、衰退の危機に瀕している状態です。しかし、 我が国の競技スポーツ選手の受け入れ先は、企業スポーツ無くして成り立たないのです 。 1974年の IOC のオリンピック

K'sファイルNO.117:国籍を提供した外国人選手による日本代表 ①

イメージ
K's ファイル NO.117 : 国籍を提供した外国人選手による日本代表 ① 無断転載禁止 お知らせ: K's ファイルは月2回、第2、4木曜日掲載予定 読者からの便り~ おはようございます。 K’s ファイル No114 、 115 、 116 を拝読しました。 高校野球 の名門私立高校を卒業している私にとっては、看過できない内容でございました。(私は、サッカー部主将でしたが。)母校の校門をくぐると添付写真の様な野球部の甲子園優勝記念碑のオブジェを目にする事ができます。この華々しい栄光の数々の裏で何が起きているのか、河田先生であれば容易に想像が出来るのではないでしょうか。(ちなみに、土のグラウンドはサッカー部のものです。硬くてケガの原因)当時私が、高校生だったころを振り返ると、野球部は特に異質な存在でした 。 異質と感じた理由としては、県外出身者が多い。出身を聞くと、当時は行った事もない様な遠い県の名前を聞かされたことを鮮明に覚えています。遠征でほとんど学校に来ない。当時の母校は、進学クラス( 2 クラス)・一般クラス( 7 クラス)母校は、中学校からの内進クラス( 3 クラス)・野球部・サッカー部・ ラグビー 部・ 吹奏楽 部から構成されるスポーツクラス(3クラス)の合計 15 クラスで 1 学年が構成されていました。私は、進学クラスに所属し、 1 日 8 時間授業をこなして、サッカー部の練習に参加しておりましたが、スポーツクラスでは、午後 2 時には、授業が終わり、それぞれ練習場に向かっていきます。野球部は、特に遠征等でほとんど学校にいない子も散見されました 。 特待制度による入学金・授業料の免除、進学クラスの子(私ですら)受けられなかった特待制度をほとんどの野球部員が受けていた。 学業との両立が成されていないことに疑問を感じていましたし、野球部員が特別扱いされているという印象と学校の 知名度 向上の為にただただ利用されているのだなと感じました 。 私の代は、 夏の甲子園 に出場していましたが、卒業後の彼らの運命は過酷なものであったと聞いています。勉強そっちのけで野球をしているので、学業のレベルは偏差値でいうと 30 から 40 程度で受け入れてくれる大学は少なく、運よく入学しても、大学の講義のレベルについていけなくて、