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KファイルNO.142:③高校生の「大学スポーツ推薦制度」に潜む危険な罠

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K ファイル NO.142 : ③ 高校生の「大学スポーツ推薦制度」に潜む危険な罠 無断転載禁止         本 BLOG は毎月第二、第四木曜日掲載予定 お知らせ  この度は、 2018 年 7 月に高校のバレーボール部活に所属していました新谷翼さん(当時 17 歳)の取り返しのつかない事件に付きまして、ご紹介させて頂いております。 NO.142 は、その三回目のシリーズの最終章とさせて頂きます。 このような教育界に於ける部活から二度と犠牲者が出ない、出さない事を強く祈念し、新谷翼さんのご冥福を心よりお祈りいたします。河田弘道   目次 K ファイル NO.142 : ③ 高校生の「大学スポーツ推薦制度」に潜む危険な罠 第三弾 大学スポーツ推薦制度を悪用する大人達 Ⅰ.大学の広告塔と化すスポーツ推薦制度    ■現スポーツ推薦制度は学業否定を助長   1.日本の大学スポーツ推薦制度     ■ 概要   2.スポーツ推薦制度の現実と実態    ■大学経営・管理者の都合により歪められたスポーツ推薦制度    ★暴力指導を支援するモンスター達の存在とスポーツ推薦制度の罪   3. 内閣府、文科省(スポーツ庁)は何故正面から対処しない    ■学生による自治活動とする事で責任回避出来るか    ★襟を正させるのは何処の誰か    まとめ     ★ ルール Book の無い制度はフェアーじゃない =================================== 2020 年 9 月 24 日、木曜日    公開 第三弾 大学スポーツ推薦制度を悪用する大人達 Ⅰ.大学の広告塔と化すスポーツ推薦制度 ■ 現スポーツ推薦制度は学業否定を助長 本調査報告書には、 A 生徒が本高校への入学時スポーツ推薦で入学したか否かは明記されていませんでした。同生徒は、中学(義務教育機関)在学中に既に何度もバレーボール選手を続けることに対する疑問と苦痛で自信を失い、興味を失った事を報告書の中に明記されています。そして、高校に進学して X 顧問に出会いそ

KファイルNO.141: ②教育者を装う部活指導者に潜む危険 副題:スポーツ・アドミニストレイションの貧困による歪んだ部活指導で自死

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K ファイル NO.141: ②教育者を装う部活指導者に潜む危険 無断転載禁止               毎月第二、第四木曜日掲載予定 読者からの便り 河田 様 岩手県立不来方高校 3 年生のバレーボール部員、新谷翼さんが自殺した事件は多くの教訓を我々に伝えていると思います。一番悲しいのは、理由は何であれ、若者が自らの命を絶たなければいけない状況に追い込まれ、悩んだ末に自殺に踏み切ったということだ。 誰にも相談できなかったのだろうか、誰も止めようとしなかったのだろうか。相談する仲間がいなかったとしたら、何のための部活動なのだろうか、何のためのスポーツだろうかと首をひねりたくなる。 スポーツは勝つことが大切であると考える選手、指導者がいるとすれば、大きな間違いであることに気付いて欲しい。スポーツの勝者の影に必ず敗者が生まれる。トーナメント形式だと、最終的な勝者はたった1人、1チームだけしか存在し得ない。それ以外の多くの人が全員、負けを経験する。スポーツの素晴らしさは勝つ喜びにもあることは否定しないが、それ以上に負けた中から何かをつかみ、それをそれ以降の人生にどう生かすことができるか、失敗しながら学ぶことにあると思う。それは決して一人だけで行う作業ではなく、特に高校生のような未完の時期には仲間や家族と悩み・苦しみを共有し、解決しようと努めるところに良さがあると私は信じる。 新谷君のことを思うと、仲間が果たすべき友情、正義が見えず、寂しくなる 。顧問の教師、学校側や県教育委員会の対応は、河田氏が激しく指摘するように保身ゆえの責任逃れしか頭にないと言わざるを得ない。高校の部活動は誰のためのものなのか、指導者のはき違えが進むべき道を誤らせたのではないかと残念に思う。  社会システムの問題点、指導者資質や改善されない暴力指導への認識の甘さなど、河田氏のこれからの糾弾に期待したい。Kファイルと名称がすっきりし、より一層、鋭い切り口で読者をリードしていただけると大いに期待しております。  読者より 筆者の見解と提言  筆者は、我が国の雇用制度が旧態依然とした制度である事がこのような事件、事故を引き起こす大きな要

スポーツ・アドミニストレイター Kファイル: 特別寄稿  

スポーツ・アドミニストレイター   Kファイル: 特別寄稿               2020年9月1日 スポーツ・アドミニストレイターの肩書を突然持たされた大学教員達の嘆き   筆者からの重要なお知らせ   肩書だけのスポーツ・アドミニストレイターは現場に混乱を招いています。    今夏は、多くの大学教員、職員から貴重なお便り、現場の報告、呆れた実態の報告を頂きました。本Kファイル:特別寄稿に於いて、SNSを通して正直にお知らせ、及びご注意・喚起させて頂きます。    我が国では、2005年秋までスポーツ・アドミニストレイション、スポーツ・アドミニストレイターと申す専門分野、部門の重要性に付いて誰もが、この存在のみならず、言葉すら知らなかった次第です。 筆者は、本スポーツ・アドミニストレイションの実践、専門家でスポーツ・アドミニストレイターとして、2005年より最初に日本の中央大学に於いて講義授業、ゼミを開講し、日本に最初に紹介させて頂きました。筆者は、既にそれまで日米両国に於いて長年(約45年)に渡りスポーツ・アドミニストレイターとして実践キャリアを蓄積して参りました。 今日では、文科省、スポーツ庁はこのスポーツ・アドミニストレイション、アドミニストレイターの必要性を認知し、各大学にスポーツ・アドミニストレイターを設置するよう指導をしてしるようです。しかし、 大学の現場では、肩書を与えても与えられたスポーツ・アドミニストレイターが何たるかの専門知識、実践経験があるわけでもなく、肩書から導入しているのでこれは非常に無責任で危険な指導者、管理者であるとの報告を関係各方面から頂いております 。 わが国には、スポーツ・アドミニストレイションの名称も2005年迄影も形もなかったのですから、国内の大学で論理と実践を紹介したその名称に文科省、スポーツ庁が飛びついて名称のみを利用しているのが実態です。 教育機関、教育界では、もっと腰を据えてスポーツ・アドミニストレイションが何たるかを指導し若者達に実践経験を積ませて、真のスポーツ・アドミニストレイターを胸張って世に送り出して頂きたいと願う先駆者からの願いです。 本件の構築に於いても複雑な人間関係と特有な利害、利権者が渦を巻いている様子です。 肩書を変更しても中身が旧態依然と同じでは、丁度GM