KファイルNO.161:特別寄稿 トップアスリートを支えるPNF手技

 

KファイルNO.161:特別寄稿 トップアスリートを支えるPNF手技

無断転載禁止             毎月第二、第四木曜日公開予定

筆者からのお知らせ

KファイルNO.161 特別寄稿は、此の度東京五輪代表選手団の主将、副主将に選ばれました山縣亮太選手(男子100メートル陸上競技)と石川佳純選手(女子卓球競技)二人を陰で支えて来られた市川繁之氏(PTPNF)を読者の皆様に異なる視点と角度からご紹介させて頂こうと思います。








目次

KファイルNO.161:特別寄稿 トップアスリートを支えるPNF手技

怪我と闘うトップ競技者達の駆け込み寺

PNF工房はレースカーのピットの役目か

はじめに

■筆者の視点

■市川繁之氏とは

Physical Therapist(略:PT=理学療法士)とは

PNFとは 

筆者のPNFに関する理解

市川氏の指摘~

市川氏を球団コンデイショング担当に迎える

市川繁之氏のプロフィール紹介


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2021715日木曜日            公開

無断転載禁止               毎月第二、第四木曜日公開予定

KファイルNO.161:特別寄稿 トップアスリートを支えるPNF手技

怪我と闘うトップ競技者達の駆け込み寺

PNF工房はレースカーのピットの役目か

はじめに

日本オリンピック委員会(JOC)は、7月6日、東京五輪日本選手団の結団式と壮行会を行うにあたり、主将は陸上男子の山県亮太選手と副主将は卓球女子の石川佳純選手を指名し発表しました。

此の度のKファイル特別寄稿は、2020東京五輪に代表として出場が決定しました陸上競技100メートル男子の山縣亨太選手(29、セイコー所属)と卓球女子の石川佳純選手(28、全農所属)の結果に対して心よりお喜び申し上げます

そして五輪全選手団の主将と副主将として大役を任された事は、これまたこの上ない重責と光栄な生涯の勲章であると思います。また、この両選手の共通する点は、日ごろの自身の努力に加えて、怪我による長年の苦しみとの戦いの中から最後の駆け込み寺を見つけて駆けこんだ先が同じ優秀な信頼できるスポーツ医科学の第一人者であった事です。これは、日ごろの努力と苦しみを観察されていた天の神様が市川氏に導いて下さったのかも知れません。筆者は、このような各種競技選手達を沢山見て参りましたのでこの二人も何かデステイニー(Destiny)を感じずにはいられません。

筆者の視点

日本の競技スポーツ界では、何故か競技選手は日ごろ縁の下でサポートして頂いている大切な裏方さんを、目的、目標に達しても全く公に紹介したり感謝の意を公表したりされない伝統的な習慣があります。これは、スポーツ、競技スポーツを通しての人間教育の問題なのか、或いは選手が所属する教育機関の指導者、企業、組織・団体、或いはマネージメント会社の利害と利権により隠蔽したがる理由がよく理解出来ません。これでは、競技選手自らが人としての礼儀を否定し価値評価を下げている事を周辺も理解出来ていないのでしょうか。読者の皆様は如何でしょうか。

海外の選手達は、全く屈託のない表情で自分をサポートして下さっている指導者、トレイナー、医師、等の方々を公の場で自然に感謝の意として「Thank You、、誰それ」と実名で称える事で自らも称えられるのですが、日本では何か他意を感じます。これらは、ただ文化の違いとして理解、片付けるには余りにも寂し過ぎませんでしょうか。

筆者は、長年このように本来表に出して当然の方々が何か隠されているようで暗いイメージから脱却できていない事は残念に思います。読者の皆様は、成果とその結果を出される選手達を支え導かれているその方々の存在、お名前に興味はございませんか。

選手達は、ピークを過ぎるころから常に故障、怪我に悩まされます。そして、その苦悩との戦いの下で潰れないで更なる成長を遂げる選手もいるのです。しかし、そのような選手は、本当にまれです。彼らは、専門家の手を借りていると申し上げて過言でありません。決して自分だけで勝ち得た成果と結果ではありません。

■市川繁之氏とは

駆け込み寺の主人は、西洋医科学に精通しその推移を集めたPNF理論が選手達の身体能力を怪我から復帰させ、より進化させ競技者の潜在能力を引き出され成果と結果に導かれたコンデイショニングの専門家であった事です。この二人がこの度の東京五輪全選手団の主将、副主将を務められる事は、これまた手を差し伸べて下さった市川繁之氏も喜ばれている事と思います。

両選手の陰では、コンデイショニングのスペシャリストとして静かに粘り強く支えて来られた市川繁之氏(PTPNFの存在無くして語れない事をご紹介致します。

同氏の専門分野、部門は、西洋医学の領域であるリハビリテイション(整形外科及びスポーツ整形外科)の部門に属します。市川氏を知らない方は、業界では居ないといわれる程の理学療法士(略:PTPhysical Therapist)であり、PNFの大家で業界では一目も二目も置かれる人物であるからです。また、彼は、国際PNF協会(本部スイス)の中枢役員であり、協会公認の世界で複数名しか認定されていないPNFのシニアインストラクターの称号を有する方です。

勿論アジアでは、唯一のシニアインストラクターであります。日本国内におきましては、PT有資格者の中から新たにPNFの資格を取得する志望者(数百名)が、市川氏から理論、実践演習を通してプログラムを段階的に受講しながら、高度なPNF技術を日々取得している次第です。また、同氏は、国際PNF協会の幹部役員であることからアジア地域のPTへのPNFの普及活動にもご尽力されています。その為に現在は、アジアを拠点にPT資格者達のPNF資格認定の為に指導に出かけている多忙な方であります。

日本国内では、日本PNF協会を創設され後進を育てる意味で若手のPT達に協会の運営・管理を譲られ指導的な立場をされているようです。国内スケジュールは、毎週火曜日に高島平中央病院のリハビリテイション科で理学療法士(PT)として勤務され、木曜日は東京衛生学園専門学校と藤リハビリテイション学園でPT資格取得を目的とする受講生に対する講師をし、その他の曜日は自身が経営する「ヒューマン・コンデイショニングPNFセンター」で治療及びコンデイショニングの仕事をされています。多分大多数の読者の皆様は、市川氏をご存じでないと思います。或いは、お世話になっている方がいらっしゃるかも知れません。

その主たる理由は、市川繁之氏のポリシーの中に「自らは売名行為はやらない。身体的問題を持ち人の手を借りなければ行動・生活に不自由を来している人に手を差し伸べたい。脳性まひのお子さん達に自らの意思で食事ができるようにして挙げたい。即ち、PNFの手技の原点」がそこにあると確信致します

この度の山縣、石川選手は、多分幸運なアスリートであったのでご縁があってお引き受けする事になったのだろうと思われます。

Physical Therapist(略:PT=理学療法士)とは

 理学療法とは病気、けが、高齢、障害などによって運動機能が低下した状態にある人々に対し、運動機能の維持・改善を目的に運動、温熱、電気、水、光線などの物理的手段を用いて行われる治療法です。「理学療法士及び作業療法士法」第2条には「身体に障害のある者に対し、主としてその基本的動作能力の回復を図るため、治療体操その他の運動を行なわせ、及び電気刺激、マッサージ、温熱その他の物理的手段を加えることをいう」と定義されています。(公益社団法人日本理学療法士協会)

PNFとは

PNFProprioceptive Neuromuscular Facilitation=固有受容性神経筋促通法)

1940年代に米国で考案開発された、脳性麻痺や脳卒中などの重い障害を負った患者に対するリハビリ技術で、専門の訓練を受けた理学療法士(Physical therapist)と作業療法士(Occupational Therapist)だけに学ぶ資格が与えられる手技です。 

市川氏は、ことのほかリハビリと比べて、このPNFを受けた脳卒中の患者の手足の動きが見る見るうちによくなることに驚いたのです。スプーンを持って自分自ら食事ができるようになり、やがてベットから起き上がって会社復帰してゆく劇的な場面に数多く遭遇しました。自分は、PNFを学ぶ事に興奮と志を抱いたころだったのだそうです。

市川氏は、何度も米国行きを決意し、カリフォルニア州サンフランシスコ近郊にあるカイザー・ファンウデエイション・リハビリセンターでPNFの研修を始めた。PNFは、国際PNF協会の規定により、そのテクニックの習熟度と経験によって何段階かのステージが用意されている。インストラクターになるまでには、何年もの歳月が必要です。市川氏は、1985年にPNFを学んで以来、略毎年米国、ヨーロッパ(主にドイツ、スイス他)各国に赴き技術の鍛錬に打ち込みました。

筆者のPNFに関する理解

本解説は、少し専門的に成り読者の皆さんには分かりずらいかと思われますので、例として野球の投球動作を一例に挙げて見ました。PNFは、筋肉や関節中にある感覚受容器に働きかけて関節とその周辺にある筋肉を充分に機能させることをその目的としています

PNFの資格を持ったPhysical therapist=理学療法士(略:PT)が声を掛けてその掛け声(コマンドと呼ぶ)に合せてパターン化された動作、例えば掌を返して、肘を伸ばして、腕を外転させるといったことを行います。掛け声で「もっと速く」と言われればより速い動作を求められ、その反対に「ゆっくり」と言われれば、スローなペースで行わなければなりません。勿論これには、PT(PNF資格者)と患者の間での信頼関係が不可欠である事は言うまでもありません。

例えば野球の投手では、角速度0度/秒を想定し、PNFでは手足の末端を掴んで抵抗(Resistance)を与えます。選手の動作は作用(Action)として働き、PTの手には反作用(Reaction)として同時に同じ量と質の力が返ってきます。この作用、反作用の働きでPTには選手がどれほどの能力があるか、あるいはどのくらい努力をしているかが分かります。そして筋力だけでなく関節の可動範囲(Range of Motion)など含めて、PNFによって得られる情報は、筋力測定器より桁外れに大きいのです。

しかもPNFは、より実践的で怪我をしにくい動作、身のこなし、可動範囲を学習することで、安定した(コントロール)、しかも速い球を投げる投手になる可能性が高まります。ベンチプレス等のウエイトトレーニングは単調な運動ですから、実際の投球フォームにおける「ため」から「リリース」に至る一連の流れの動作が実現出来ませんが、PNFでは、それが可能になり、安定したフォームが生み出されます。PNFは、厳密には筋力トレーニングではないのです

脳と筋肉を結ぶ神経系の接続ポイント(receptor)に手技をもちいて直接働きかけ、本人すら気付かない脳内からの誤ったメッセージを修正する、あるいは必要な指示をだすよう働きかけるのです

市川氏の指摘

市川氏曰く、脳は筋肉の動きを覚えているのでなくて、運動そのものを覚えているのです。だから上腕二頭筋をどのように動かしたかは憶えていないけれど、肘が曲がったり伸びたりする記憶だけはあるのです。筋肉に疲労が蓄積していた場合など、微妙に動きがずれているのに脳はそれにまったく気づかないのです

例えば、投球やバッテイングフォームはデリケートなものです。微妙なずれが生ずると如実にそれが結果にあらわれる。球速が落ちる、スライダーの切れがよくなくなる、あるいは球をとらえるミートのポイントがずれて凡打の山をつくる。選手は、いつものようにやっているつもりでも、何が原因なのかその理由が少しも分からない。そしてスランプに陥ってむやみに悩み苦しむ。上手くすれば偶然に元の動きを取り戻せるが、だめなら負のスパイラルの深みに入る。

例:19943月、「松井秀喜選手の怪我による緊急復帰計画」を約10日で復帰させた。その後9年間、同選手の「コンデイショニング、肩、膝」に加えて、そして松井秀喜選手は、其の後毎週3回、365日一回1時間以上に及ぶ「バッテイン練習」を9年間NYヤンキースに行くまで継続し、巨人軍での最終年で本塁打、打点、打率と自己最高の結果を残して東京読売ジャイアンツを去って行ったのです

筆者は、市川繁之氏が4年間の球団との契約(コンデイショング担当として)後も松井秀喜選手のたっての願いで、「コンデイショニング、打撃指導者」として合計9年間松井選手に心血を注がれた事に対して敬意を表します。

にも拘わらず、身内のスポーツマスメデイア、他社のTV、マスメデイアは、取材もせず度重なる報道松井秀喜選手の打撃の師匠は、長嶋茂雄監督で師弟関係だとまことしやかな報道」をするたびに本人も市川氏も私もよく爆笑した事を思い出します。(誤った情報提供)

しかし、このような虚偽の報道が連日なされても、師と称される長嶋氏が否定されないのですから致し方なかったのが真実です。勿論、長嶋氏は、松井選手のバッテイング指導も膝、肩の治療もコンデイショニングも全て市川氏が行っている事を百も承知していました。当時の打撃コーチの武上氏は、その結果を数値が証明するのでいつも驚嘆していた事は既に「Gファイル:長嶋茂雄と黒衣の参謀」文芸春秋社 著武田頼政氏に筆者は報告、明記させて頂いています。

PNFの受講の手続き、資格は

PNFの資格取得方法は、国際PNF協会の規則に基づき行われております。国際PNF協会の

ホームページ参照(https://www.ipnfa.org/

市川氏のコメント

クライアント様はスポーツ選手に限らず、一般の方や障害を持たれた方、健康促進、障害予防の方々迄様々なジャンルの方々がいらっしゃいます。スポーツ選手は、野球、陸上競技、卓球、水泳選手などアマチュアからプロ選手の一流選手までいらっしゃっています。

市川氏を球団コンデイショング担当に迎える

丁度この時期(1994年)、ご縁があり私は、東京読売巨人軍監督の長嶋茂雄氏から懇願され、東京読売巨人軍の「球団編成本部常務取締役兼監督補佐」として球団と契約を致す事になったのです。当時NEC SPORTSのスポーツ・アドミニストレイターとして在籍致していました関係で、一応社への了解と確認をいたしました。その結果、NEC社の社長が丁度巨人軍長嶋茂雄監督を応援する会(燦燦会)の幹事でもあった事から球団との契約の了承もスムーズに致した次第でした。

            勿論、市川繁之氏がプロ野球選手のコンデイショニングに適任かどうかの調査は事前に行った次第です。スポーツ医科学は、長年米国に於いても自身の専門分野の1つでもあったのでその専門部門には多くの友人、知人がいますので総動員した記憶が蘇ります。私の最初に取った行動は、米国にいる何人かのスポーツ医療技術者のエキスパート達に直接コンタクトしました。例えば、シアトル・マリナーズのヘッドトレイナーのリック・グリフィン氏、同じく元マリナーズのトレイナーだったブラッド・エグラップ氏、それからパシフィック大学のヘッドトレイナーでコンデイショニングの大家でもあるボブ・グラム氏、そしてサンフランシスコのカイザー病院でチーフインストラクターを務めるPTのケント・カイザー氏らの見解を総合したところ、実績、力量共に日本人随一とされるある一人の名前で一致したのでした。その方がPNF研究所(現:ヒューマン・コンデイショニングPNFンター代表)の市川繁之氏だったのです。

           其の後、市川氏を東京読売巨人軍のコンデイショニング担当として契約して頂き河田が退任するまで桑田真澄投手をはじめ投手陣、松井秀喜選手を始めとする打撃陣と、特に松井秀喜選手は、1993年オフに痛めた背中の怪我で1994のキャンプにも参加できない状態であったので、市川PTのジャイアンツでの仕事が松井秀喜選手復活計画の第一歩であった次第です。松井選手と市川繁之氏との関係は、その後松井選手が200212月に突然退団する迄9年間松井選手のコンデイショング及び、バッテイング指導者として真剣にエネルギーを費やした真の師弟関係であった事は、私が証人であります

           よって、身内マスメデイアが今日も尚松井秀喜選手と長嶋茂雄監督が真の打撃指導者(師弟関係)であるかの報道が常になされているようですが、あの報道は、真実ではありません事を申し添えさせて頂きます。長嶋茂雄監督は、全選手達を師弟と表現されるのあればフェアーな表現であると思います。長嶋氏は、マスメデイアに対して「自分が松井選手の打撃指導をした特別な師弟関係である」など仰った事はありません。マスメデイアが作り上げた虚像です

            市川氏は、1995年以降野茂英雄投手のドジャーズとの契約以降、同選手のコンデイショニング担当としても同選手がメジャー引退まで尽力された事は大変有名です。また、テニス界では松岡修造選手、バレー界では中田久美選手、等々ご紹介するときりがありません。

筆者と市川繁之氏との関係は、今日迄約三十数年になるかと思います。1994年のメイクミラクル、1996年のメイクドラマは、市川氏のご尽力に大変助けられましたことをご紹介致します。

市川繁之氏のプロフィール紹介

           市川氏は、野球選手として千葉県立木更津中央高校(現在の木更津総合高校)の捕手として、後に社会人野球野球の電電関東(現NTT東日本)の捕手として活躍されていました。彼の目標であったプロ野球入団は腰痛に侵されて野球生活を断念しました。

1983  東京衛生学園 リハビリテーション科卒業 理学療法士の国家資格取得

     伊藤病院リハビリテーション部勤務

1985  アメリカ カリフォルニア州 バレーホ・カイザー・ファウンデーション・リハビリテーション・センター( KFRC ) にて PNF テクニック6ヶ月コース修了

1986  森山脳神経外科病院勤務 リハビリテーション部部長となる

1993  高島平中央総合病院 (非常勤、現在も継続)

19951998 東京読売巨人軍コンディショニングアドバイザーを勤める

1997  国際PNF協会認定コースを日本で初めて開催

1999  ヒューマン・コンディショニング PNF センター開設

     ※アジア、日本で初めての 国際PNF協会認定インストラクターとなる

2000  日本PNF協会会長となる。

2004  国際PNF協会認定アドバンスインストラクターとなる

2008  NPO法人日本PNF協会理事長となる。

2017  NPO法人日本PNF協会会長退任

2018  国際PNF協会シニアインストラクターとなる(アジアで1人)です。


文責 河田弘道

スポーツ・アドミニストレイター

スポーツ特使(Emissary of the SPORTS

紹介:G file「長嶋茂雄と黒衣の参謀」文芸春秋社 著 武田頼政

お知らせ:次回は、何故電通はP・ユベロス氏に近づけたのか、如何にして電通は、今日の世界のスポーツ・ビジネス(オリンピック、ワールドカップ・サッカー、世界陸上、等)を一手にできたのか、そこには、電通のプロデユーサーの参謀役戦士が居た。華やかな舞台裏には、何かが匂い、何かがうごめき、そこには必ずひっそりとシャドーマン(影の人)が寄り添っている


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