KファイルNO.183:世界陸上22が大学キャンパスにやって来た(米国)
KファイルNO.183:世界陸上22が大学キャンパスにやって来た(米国)
無断転載禁止 毎月第二、第四木曜日掲載予定
KファイルNews Comment by Hiromichi Kawada
●東京五輪組織委員会解散に思う(6月30日)
本年は、COVID-19蔓延も治まらない中、世界に於きましてはロシアのウクレインの侵攻により膨大な人命の被害並びに難民達が路頭に迷っています。この様な非人道的な行為から、人類の「Justice(正義)&Fairness(公正)」は、破壊され「共存共栄」の原理原則が成り立たなくなりました。一人の専制主義者の台頭による実行支配、世界に食糧危機を招き世界経済の混乱が日々飢餓に苦しむ多くの国の民の命を奪い取っている次第であります。
日本国内では、一部の強行論者により昨年2021年7月23に東京五輪開催を無観客で終えました。そして、本年2022年6月30日に東京五輪組織員会(TOCOG)の解散が告知された次第です。それに先立ち、組織委員会の武藤敏郎事務総長は、東京五輪大会に要した総経費が1兆4238億円であったことを発表したのでした。この経費は、政府と東京都が東京五輪に支出した経費のごく一部で、委員会現場の運営・管理に要した経費のみの算出だったようです。本経費だけでも何と東京五輪招致委員会がIOCに当時プレゼンテイションをした数値の約3倍もの超過金額なのです。これでプレゼンテイションは、不誠実な内容であった事を証明した次第です。
東京五輪の総経費は、略4兆円の支出があった中の一部を公表したに過ぎないと思われます。この公開の手法は、まさに国民、都民の眼をごまかす手法で在り、国民の血税を投入した数兆円の収支決算は、何に使われどこに消え誰が管理して居るのか情報公開がされなければ、東京五輪組織委員会の解散は在り得ないのではないでしょうか。残念ながら、与野党の国会議員達は、もうどうでもよいのか争点にもしないこの程の参議院選挙です。
日本国政府は、国会議員としての本来の職責も果たさず、当初から東京五輪関連のみの大臣席(遠藤利明氏、桜田義孝氏、橋本聖子氏、丸川珠代氏)を置いて、公金の横領が無きようお目付け役をさせて来たのではなかったのでしょうか。或いは、大臣の肩書だけを与える為の飾り雛だったのかも知れません。
このような実態に対して、日本国民、都民は、無関心を装う態度をするので、東京五輪のスポンサー迄されてきた日本を代表するマスメデイア6社(新聞社)は、TV, マスメディアとしての体を成していない様子が明らかとなった次第です。此れでは、国民、社会の為に役立っているとは申せません。
そして東京五輪組織員会理事の国会議員達は、遠藤利明氏(参議員として選挙対策委員長)、橋本聖子氏(解散翌日、自民党参議員に復党、冬季札幌五輪お宅に鞍替え)、丸川珠代氏(話題無し)と東京五輪の決算報告には、我関知せずの態度で次なる利害、利権に乗り換えて行っている始末です。
東京五輪組織員会は、6月30日に解散いたしました。今後は、武藤敏郎氏(五輪事務総長)以下4名が清算人として選ばれ、清算手続きが終結するまで法人資格を継続し、約一年間は必要最小限の事務局体制を維持するようです。しかし、これは、公益法人のクロージングセレモニーで、訴追請求、等が無い限り形式的な残務整理部隊であると言えるでしょうか。これでは、東京五輪招活動から組織委員会解散まで、政治家達の政治家によるグレー或いはブラックな闇の公益財団法人であったことを物語っています。東京五輪閉幕後、国民と社会は、誰一人として感動、話題にしない事が2021東京五輪の「レガシーとその評価」と言えるのではないでしょうか。莫大な公金を使って残った物は、巨大な競技場、室内競技場、等々と、今後この負の遺産の維持負担は、国民、都民の税金で賄い次世代に背負って頂く事に成りました。この東京五輪で一体誰が影で潤い笑みを浮かべているのでしょうか。悪代官と越後屋達でしょうか。
文責:河田 弘道
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2022年7月7日 木曜日 公開
KファイルNO.183:世界陸上22が大学キャンパスにやって来た(米国)
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スポーツ・アドミニストレイター
日本にスポーツ・アドミニストレイション論
日米で実践してきたスポーツ・アドミニストレイターの先駆者
(プロフィールは別途ご検索下さい)
世界初世界陸上が米国大学キャンパスの陸上競技場で開催
I.オレゴン大学UOは陸上競技の聖地と人は呼ぶ
■先ず初めに
■世界陸上の歴史と歩み
読者の皆様は、オリンピック大会はよくご存じだと思います。オリンピック大会は、理念とは相反する世界の政治家達の政治的道具に成っている事は歴史的な事実であります。1979年末に当時のソ連が現在のウクレインへの侵攻同様にアフガニスタンに突然戦車部隊を投入して開戦した事をきっかけに、西側諸国が1980年のモスクワ五輪をボイコットした次第でした。
本世界陸上選手権大会は、この様な世界の政治的な動向を見捨て、当時の国際陸上競技連盟(IAAF、現WA:World Athletics)のプリモ・ネビオロ会長(イタリア)は1983年にヘルシンキで第1回大会を新設開催したのでした。 その後は、五輪前年の4年間隔の大会と位置付けて参りましたが、1991年の東京大会以降2年間隔で開催される事となりました。この様にして世界陸上は、2005年大会以降2019年迄は、殆どヨーロッパとアジア圏内での大会が主体でした。これらは、IOCが広告代理店電通をオフィシャルパートナーとした事から、当時のIAAF会長のP・ネビオロ氏は、電通と契約し、本世界陸上のスポンサー権、放映権、等にも電通が大きな力を誇示するに至ったことで、その後の開催に関する影響力を拡大して行ったと言えます。選手に取りまして世界選手権は、歴史は浅いですが世界最高峰の陸上競技大会であるに違いは無いと思います。
筆者は、1991年世界陸上選手権東京大会に於いて、日本テレビのオフィシャルコーディネーターとして参戦させて頂きました事は大きな経験と体験となっております。1991年世界陸上東京大会の日本テレビのプロゼクト最高責任者は、坂田信久氏でした。
■オレゴン大学が何故陸上競技の聖地(メッカ)か
米国、オレゴン大学の陸上競技を語るには、この人物無しには語れまい。その名は、ビル・バウワーマン氏(Bill Bowerman)その人です。
ビル・バウワーマン
(1911-1999)
UOのビル・ヘイワード監督の下でスプリンター選手だった
UOフットボール選手
1931-1932
UO史上3番目に長いパントリターン(1931年のワシントン戦で83ヤード)
第二次世界大戦ブロンズスター受賞者
UOフットボールアシスタントコーチ1948-52
UO陸上競技コーチ・監督1948-1972
NCAAチャンピオンシップ4チームのコーチを歴任
1972年、アメリカオリンピック陸上競技コーチ・監督
アメリカでジョギングブームを巻き起こす。ジョギングの父と称される。
妻バーバラのワッフルアイロンにゴムを溶かすことで、靴の象徴的なワッフルソールを作成しました。後にNIKE設立し創設者となる。
全米最高の大学陸上競技選手に与えられる賞であるバウワーマンは、2009年に創設されました。以前の受賞者には、ガレン・ラップ、アシュトン・イートン、ローラ・ローズラー、ジェナ・プランディーニ、レイヴィン・ロジャースが含まれます。
ビル・バウワーマンのコーチングの遺産
33名 オリンピック 選手輩出
13名 世界記録保持者輩出
24名 アメリカの記録保持者輩出
64名 オールアメリカン輩出
Ⅱ.米国の陸上の聖地に世界陸上がやって来た
世界で初めて世界陸上が、米国、オレゴン州ユージーン市に位置するオレゴン大学キャンパス内の陸上競技場(ヘイワード・フィールド)でホストされる事になったのです。大学及びオレゴン州ユージーン市は、アメリカで陸上競技のメッカとされています。ナイキ社は、オレゴン大学のキャンパスで産声を上げたのです。そして創設の祖は、当時陸上競技部監督のビル・バウワーマン氏(パートナーのフィル・ナイト氏は、彼の教え子でビジネス部門を担当)でした。当時ジョギングを世界に広め、命名されたのもバウワーマン氏であります。
興味がある方は、下記のURLで検索され、新スタジアムと伝統的な旧スタジアム(全てオレゴン州で育った木材を使用)を比べて下さい。新スタジアムは、アメリカの大学の陸上競技スポーツの施設と規模に於いてもベストなのです。本URLは、日本に於いて初めてKファイルを通してご紹介させて頂きます。お楽しみ下さい。URL:https://around.uoregon.edu/hayward(注:本URLを開きますと英文、英語解説となっています。日本文で読む興味のある方は、日本語翻訳とサインが出ていますので「翻訳」をクリックしてください。日本語をお楽しみできます)
■ビル・バウワーマン氏とフィリップ・ナイト氏の関係
すべてが始まった場所
彼らの関係は、コーチとアスリートからメンターと学生、発明家とモルモット、そして最後にビジネスパートナーへと進化しました。彼らは、アスレティックシューズ、アパレル、および機器の世界有数のデザイナー、マーケティング担当者、およびディストリビューターであるナイキを共同設立しました。バウワーマンはかつて、「体があれば、あなたはアスリートだ」と指摘したことで有名です。ナイトとバウワーマンは一緒になって、エリートと週末の戦士が同様に彼らの運動の夢を実現するのを助けました。
筆者(河田弘道)とビル・バウワーマン氏との関係
★NIKE創業者の信念は此処に
B・バウワーマン氏は、1972年にキャンパス内の木造でできたこのヘイワード・フィールドの彼の工房で現在のNike社を起業することを決心し、設立したのです。ユージーン市、オレゴン大学のヘイワード・フィールドは、米国の陸上界のメッカとされ、またNikeの聖地でもあるのです。
当時、同氏の教え子で在り、米国のオニツカ・タイガー社(現:アシックス社)のセールス部門のデイレクターをしていた、フィル・ナイト氏(通称:フィル・ナイト)をナイキ社に共同経営者(Co-founder)として迎え、同氏にビジネス部門を任せたということを直接彼から聞きました。この二人の関係は、アデイダス社でシューズの職人気質と言われた兄ルドルフ・ダスラー氏(後に弟と袂を分かちPUMA社を設立)とビジネス、政治、マネージメントに長けていた弟のホルスト・ダスラー氏(二代目アデダス社の経営者)の関係と似ています。しかし、ダスラー兄弟(アデイダス社)は、途中で別々の企業主となりましたが、B・バウワーマン氏とP・ナイト氏の関係は、仲たがいもせず最初から最後まで互いにリスペクトし合い、ナイキ社創設から構築、そして再構築へと全力でエネルギーを注がれたのです。
B・バウワーマンさんは、Nikeを起業する以前から「どのようにしたらスポーツにおいて人間の潜在能力の可能性を導き出せるか」について独自の思考を深めていました。これは、まさに彼のコーチングの哲学でもあったと筆者は当時より大切にメモした資料がファイルに残っています。しかし、同氏は、人からコーチと呼ばれることに抵抗を感じていたのも事実で、周囲の皆は彼の事をビルと呼び捨てにし、彼自身もそう呼ばれる事を大変喜ばれていましたし、人間味豊かな人でもありました。
そして、私の脳裏に焼き付いているのは、自宅と大学の往復にいつもおんぼろの確かGMかFORDのピップアップトラックで荷台には作業用のシューズ、スコップ、農機具が積まれていました。これは、彼がナイキ社のオーナーになったころもこのスタイルを変える事はありませんでした。
此れが、ビル・バウワーマン氏の素顔です。人は、「彼はナイキの最高経営者で大金持ちなのにどうしてキャデラックのコンバーティブルに乗らないのか」と揶揄されていましたし、彼を「ストレンジャー、変わり者」と表現する市民、大学教職員がいたのも確かです。しかし、彼はそれらの声に一切耳を貸さなかった事も事実でした。
このように、ナイキ社の創設者のB・バウワーマン氏の創設時の理念は、「厚底+プレイトシューズを陸上長距離の革命とみるか、商品開発によるナイキの頭脳的ビジネス戦略とみるか」の両面をカバーしていると思います。
★筆者からB.バウワーマン氏ご夫妻への謝辞
私は、若くして米国オレゴン州のユージーン市に足を踏み入れて以来、B・バウワーマン氏と奥様のバーバラさんには、大変お世話になりました。右も左も分からない日本から来た学生の小生にいつも温かく接して下さり、常に大事な人生の岐路の時には、温かくポジティブな親心で肩を押して下さったご夫妻の真心を常に忘れることはありません。
1974年のオレゴン大学からブリガムヤング大学(BYU、ユタ州プロボ市)への移籍の一大決心の時も、次に1993年の東京読売ジャイアンツと契約を結ぶか否かの時も、バウワーマン氏(当時はNike社のオーナーに復帰されていた時)の温かいオファーとの間で迷っていた時の小生の決断に勇気を与えて下さいました。当時同氏のオファーを素直にお受けしていたならば、長嶋茂雄監督との一心同体での真剣勝負に挑む事もなく、1994年のメイクミラクルも96年のドラマも無かったかもしれません。
オレゴン州ユージーン市は、私にとっての人生の選択の聖地なのかも知れません。温かく支えて下さった多くの方々に心より感謝の念に堪えない次第です。
文責:河田弘道
スポーツ・アドミニストレイター
スポーツ特使(Emissary of the SPORTS)
紹介:G File「長嶋茂雄と黒衣の参謀」発行 文芸春秋社 著 武田頼政
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お知らせ:NO.183は、如何だったでしょうか。世陸は、いよいよ7月15日オレゴン大学で開幕します。オレゴンも異常気象のようですが、期間中気温、湿度、風が安定する事を願うしだいです。次回は、世陸シリーズの中でも大学キャンパスに出来た最新の施設を導入した陸上競技場及び学生達の世陸ホストの関りに付いてご紹介出来ればと思います。
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