Kファイル/スポーツドクトリンNO.317 東京読売巨人軍の誠の再建を願う
Kファイル/スポーツドクトリンNO.317 東京読売巨人軍の誠の再建を願う
無断転載禁止 2025年10月23日木曜日 公開
河田弘道
スポーツ・アドミニストレイタ-
スポーツ・アドミニストレイションの基軸は“Justice正義&Fairness公
日本にスポーツ・アドミニストレイション論の必要性を紹介
日米で実践してきたスポーツ・アドミニストレイターの先駆者
(プロフィールは別途ご検索下さい)
初めに
本年は、5月下旬から夏日、猛暑、酷暑の長い日々が連日、連夜と続きました。この10月も後半に差し掛かり漸く気温、湿度も凌ぎやすくなった様子が伺えます。読者の皆様に取りましては、如何でしたでしょうか。お変わりございませんでしたか。著者は、8月16日以来長期夏休みを頂きました。夏休みの間に自身の趣味の課題と目標でありましたゴルフに於いて、エイジシュート(自分の年齢と同じスコアーで18ホールを回る意味)を完成する事は出来ませんでした。その最大の原因は、相も変わらず日々雑用に追われてゴルフどころではありませんでした。残念で仕方ありません。しかし、ゴルフより遥かに大事な事に集中できましたことに感謝したいと思います。毎日1日をベストで過ごせたことに悔いはありませんでした。
夏休み明けのKファイルは、嘗て日本球界の栄光を独り占めして来た東京読売巨人軍が1994年のメイクミラクル、96年のメイクドラマを最後に“我が巨人軍は永遠に不滅”とは参らなくなった今日を今一度振り返る事で、今日の経営者、球団運営、管理者達に何が原因でこのような全くエキサイトメントの無い選手達、ティーム、球団になったのかを今一度精査検証して頂き、ドラスティックな改善と改革を断行して頂きたく、この様なタイトルに致した次第です。読者のジャイアンツファンの方々、そうでない読者の皆様にも洞察して頂けましたら幸いです。これは、今日の乱れた国政及びスポーツ、教育機関の構造とそのシステムに通じるように思えてなりません。読者の皆様は、このように思われませんでしょうか。
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目次
初めに
Gファイル・長嶋茂雄と黒衣の参謀を発刊 2006年10月13日
ジャイアンツの凋落は予言されていた!
序文
Ⅰ.東京読売巨人軍球団創設の趣旨、目的
■巨人、大鵬、卵焼きは過去の産物と化したか
Ⅱ.未来の東京読売巨人軍のあるべき姿
■巨人軍は球界の盟主にあらず
■脳梗塞を起こした巨人軍組織
Ⅲ.東京読売巨人軍に必要なのは何か
1. 球団は読売新聞社の影響に左右されないプロ集団であるべき
2. 球団は複数のスポンサーと契約を結び企業化を図るべし
著者からの新提案
Ⅳ.東京読売巨人軍に必要なのは何か
先ず発想の転換を
■球団経営には外資投入は不可欠
Gファイル・長嶋茂雄と黒衣の参謀を発刊
2006年10月13日
ジャイアンツの凋落は予言されていた!
序文
Gファイルが発刊されて早や19年の歳月が経ちました。本Gファイルの主題は、主人公の“河田弘道”が日々の業務を睡眠時間を惜しんで連日の激務をまとめワードに向かった実録をGファイルと名付けた次第です。
Gファイルは、1993年から1997年12月31日迄の小職が直接的に関わった業務を報告書としてまとめ、翌早朝には長嶋茂雄監督(以後長嶋、監督)が確認され翌日のゲイムに活かすことが一つと、長年の伝統的な負の遺産の垢を落とす為のベイスボール・アドミニストレイションの導入を短期間で成果と結果を出すことが本報告書の目的でした。また、本報告書は、1カ月に一度要約したものを当時の渡辺社長・会長・オーナーに監督が自ら大手町の渡辺氏の部屋を訪れ直接手渡されることも小職の業務の一つでもありました。
確か書籍のGファイルには、小職が在任した4年間の報告書がA4サイズで5000ページに及ぶと明記されていたと思います。しかし、実際は、略6000ページに及ぶ膨大な内容でした。内約1000ページは、長嶋氏、渡邊氏以外の目に触れることにより、野球界、日本社会の秩序を乱すことを避けるために書籍Gファイルからは取り除かせて頂いた次第であります。
当時Gファイルが発売された後、ある友人の法律家からは、“河田さん、Gファイルはキーワードとなるページを大分抜かれていますね。何時Gファイル2が世に出てくるのでしょう”と笑顔で問いかけられた事は、今も強く記憶に残っています。
本Gファイルは、出版社の株式会社文藝春秋の代表責任者からは“書籍の大部分が河田氏自らの原文であり、取材相手が河田氏が主人公なので共著となされるべきです”、との要望がありました。しかし、私には、本書籍を出版するに当たりましての趣旨、目的がありましたので著者として武田頼政氏にお願い致した次第です。そこで、その証として私は、文芸春秋社の発行責任者氏にはその趣旨と目的は明確にさせて頂き、全ての本書籍に対する“印税”は著者である武田頼政氏に差し上げることを発行責任者と武田氏に文章でお伝えいたした次第です。この趣旨、目的から印刷部数も限定させて頂きましたので世に出回る数も限定されたという事です。
Kファイル著者の私見
Ⅰ.東京読売巨人軍創設の趣旨、目的
著者の私見で申し上げますと東京読売巨人軍は、親会社である読売新聞社の新聞拡販事業のプロモーション活動の担い手として長年位置づけられたと理解いたす次第です。また、それに付帯する日本テレビは、視聴率を稼ぐ最大の武器として、それに伴い大手企業のスポンサー獲得による番組スポンサーの獲得には全くと言ってよいほど効率の良いスポンサー料(大金)が毎晩転がり込んできた次第です。そのスポンサー権利獲得のための広告代理店は、特に電通は球団に独占販売権を申し出長年汗もかかずに大手スポンサーを読売新聞事業局、日本テレビ、東京読売巨人軍に横流しビジネスを行ってきた、即ち巨人軍は金の生る巨木であったのです。
これらの現象は、あのメイクミラクル(1994年)、メイクドラマ(1996年)が東京読売巨人軍歴代1位に値する視聴率(CSの平均視聴率が24%を超え)であったことが全てを物がっていたという事です。
この事業、ビジネスと構造が、江川卓選手を始めとしたルール破りの横暴な選手獲得へと走らせた最大の暴挙の一つとされる理由と根拠が此処にもあると著者は、推測致す次第です。しかし、近年では、電通自らテレビへの独占広告販売権を放棄する一大問題が起きたのも、視聴率の低迷から来る大手スポンサー離脱はご承知の通りであります。
これは、視聴者、読者の皆様もご承知の通り日本テレビのみならず、他の民放各局のナイター中継がCSから姿を消した大きな要因なのです。報知新聞社(スポーツ報知)は、東京読売巨人軍の広報新聞として長くその役目を果たされて参りました。今日では、ご承知の通り発行部数も激減しもうその見る影も無くなってしまったと申し上げて過言でありません。しかし、今日もなお過去の栄光の影を追い、過去の運営、経営から脱しきれないで読売新聞社の翼下の中で天下りの人事を受け入れ、若い世代は現場での夢も希望も失ない、また経営、運営、管理者を育てることなど考えないサラリーマン経営者達は、社の発展など気にも留めない古い企業体質の構造的な問題を改善できないでいるようです。
■巨人、大鵬、卵焼きは過去の産物と化したか
日本では、戦後第一次産業(生産業)を土台に国家の立て直しをはかる為国を挙げての取り組みが立ち上がりました。そして、次に第二次産業(オートメイション化、大量生産)時代に突入する時期から国の経済成長は、日の出の勢いで右肩上がりと化しました。
これは丁度昭和40年代(西暦1965年~1974年)にかけて相撲界で一世を風靡した大鵬幸喜氏の初優勝から引退まで、そしてこの時代に丁度戦後の日本国民の心の支えとなっていた読売巨人軍の長年に渡り、日本プロ野球界を牽引して参った9連覇、この偉業を成し遂げた川上哲治氏率いる巨人軍の存在と巨人軍に在籍したスーパースターの長嶋茂雄選手、そして王貞治選手と二大スーパースターを保有した読売巨人軍を意味しています。
文献から、
“巨人、大鵬、卵焼き”の流行語を生みだした背景には、上記時代の流れの中で、好景気が大きな容易になっている事は明らかです。
文献によれば、この流行語を生みだした生みの親は、作家で後に経済企画庁長官も務めた堺屋太一氏とされている事を著者は、存じ上げませんでした。どうも同氏が当時の現在の経済産業省の官僚時代の1961年度のとある経済報告記者会見の場で「子供たちはみな、巨人、大鵬、卵焼きが好き」と話したことがこの流行語の原石となったと言い伝えられています。卵焼きがあえて取り上げられた背景には、この時代時期に於いての経済の優等生であったことが時代の背景、象徴とされたと言われている次第です。
著者は、東京読売巨人軍時代に冗談交じりで長嶋氏とプライベイトの会食時に、「監督は、巨人、大鵬、卵焼き」と呼ばれている事をご存知でしょう。何故「長嶋、大鵬、卵焼き」では、無かったのでしょうね。とお伺いした事を思い出します。当時監督は、「例の方が長嶋を嫌っていたからかも知れません」とにやにやしながら食事した記憶が蘇ります。また、何故国民栄誉賞の声が掛からないのか不思議に思えた次第です。(現在は、20年東京五輪を契機に長嶋氏に国民栄誉賞が安倍晋三内閣総理大臣により授与、松井秀喜選手が同時に松井秀喜さんが授与されたが意味は不明)
読者の皆様は、ご存知ですか。現在の流行語は、“ドジャース、翔平、ホットドック”とすっかり日本に於ける野球観が海の向こうのメジャーリーグに変貌してしまったことを意味しているのです。老いも若きも早朝から大谷選手が出場するドジャース球団観たさに、嘗ての長嶋茂雄選手を見つめるがごとくTVの前で身構える姿から時代の流れと歴史を感じざるを得ない光景のようです。
この現象からも日本のプロ野球界は、既にメジャーリーグ・ベイスボール(MLB)に飲み込まれて行く姿は、忍び難い思いがしてならないのは著者だけなのでしょうか。著者がそうであったように嘗ての小学生、中学生、高校生、大学生が日本プロ野球界を特に読売巨人軍を目指して東京に来ることを夢見て来た時代から、今日では、大谷選手が活躍する米国、MLBを目指す子供達の夢と大志に変貌している事は今後の日本の野球界の動向に大きな影響を与えて行くことに違いありません。国内から米国に向いてしまった事は、これからの日本のプロ野球界の行く末が案じられますのは著者だけなのでしょうか。
■巨人軍は球界の盟主にあらず
嘗て「東京読売巨人軍は紳士たれ!」の家訓を残された初代読売新聞社の主筆で最高経営は、故正力松太郎氏でした。
この家訓を残された正力氏は、おおよそプロフェッショナル・ベイスボール球団、選手は何たるかをご存知ではなかったのだと思います。同氏は、読売新聞社の社員に対する規律、社規をそのまま読売巨人軍にも運営、管理させようとの思いがあられたように著者は推測する次第です。その根拠は、東京読売巨人軍は読売新聞社、(株)日本テレビ放送網へのニュースソース、巨人軍ソースを資源として投入し、読売新聞の拡販事業部と位置付けていたのではないかと理解することで、この様な発想を家訓とされたのだと思います。
読売新聞社、東京読売巨人軍は、三代目の渡辺恒雄氏を最高経営者に迎えられ初代正力松太郎氏の様なプロ野球、スポーツへのリスペクトの精神も情熱も薄らぎ、唯親会社の新聞拡販の為と政治、政治家への権力のツールの一つとしてしか思考力が働かなかったと言えると思います。特に近くでその言動、行動を肌で感じながら渡邊氏の思考力は、全くと言ってよいほどスポーツに興味もリスペクトも持っていなかったのは明らかでした。その根拠は、「選手、監督以下ユニフォームを着ているのは誰のおかげだと思っているのだ。お前達は、男
芸者」との暴言を公の場で何の憚ることもなく吐き捨てる権力者であったのはご存知の通りでありました。
東京読売巨人軍には、長きに渡り純粋培養した選手のみを巨人生え抜き選手と呼び、歴代の監督を今なおこの巨人軍生え抜き選手のみが継承し監督の座を守り続けている次第です。即ち、その歴代の監督が監督として相応しいか否かは、全くその物差しにあらず、現役時代に巨人軍で活躍し、名前を残した者だけが継承できる権利とされて来たのです。
当時小職は、渡邊恒雄氏に対して直接巨人軍OB会なる実態は、何の定義もない唯の現役選手引退後の「職安」と位置づけ、かえってフロント、現場の足かせとなっている根拠を明記し、報告書と共に改善の提案を最高経営者に上程致しました。結果は、弱体化の方向に向かった次第でした。
OB会事務局からの紹介で各TV局のプロ野球解説者を盥回しして高額の金をせしめるような時代ではなくなったのです。これらは、各民放局をはじめNHKでは、プロ野球界のボスが居てその解説者の仕事の利権が各球団の人事にまで口出しするような構造が現在も一部で残っているのです。
その代表がNHKのプロ野球解説者達の利権構造なのです。これも東京読売巨人軍の嘗ての名将と謳われた、川上哲治氏が構築した親方日の丸のNHKは、その後藤田元司氏に継承され、森 祇晶氏、星野仙一氏、、、原辰徳氏と継承され今日もその関係者達が行っているのも日本プロ野球界の利権の構造の一つであります。
この川上派閥系譜から長嶋茂雄氏は、外れていたのでNHKに招かれた事はありませんでした。
1. 球団は読売新聞社の影響に左右されないプロ集団であるべき
これは、東京読売巨人軍球団と読売新聞社との関係は、巨人軍のみの問題ではありません。この構造とシステムは、日本プロ野球界の伝統的なMLB(メジャーリーグ球団)ではありえない実態なのです。そこには、日本のプロ野球球団を持つ企業の典型的な構造である事です。その発想の起点に親会社企業は、球団を持つことの意義と目的に企業のイメージアップ、即ち広告宣伝を担わせているのです。また企業の製品のプロモーション活動及び広告宣伝を担わせています。
次なる親会社の球団の位置づけは、大多数の日本の球団は赤字経営を強いられており、赤字の際の補填は親会社によりなされているのが伝統的な構造であります。親会社の球団への赤字補填は、球団は親会社の広告宣伝部、或いは広告宣伝予算を補填に充てているという事なのです。
このことから未来に向かって東京読売巨人軍を再建させるためにも、元来のオーナー制度では、他球団のような巨大な企業を相手に巨人軍が生きて行くためにも、企業スポンサー、巨人ファン達にオーナー権を販売し、投資して頂く方式がより安定した今後の経営と風通しの良い球団の経営、運営、管理を致せると著者が確信いたしています。TOKYO NIKE GIANTSでもよいのでは!
お手伝いしてもよいかと思われます。これにより多くのNIKEと契約しているMLB選手が協力できると思われますよ。
Ⅳ.東京読売巨人軍に必要なのは何か
■球団経営には外資投入は不可欠
日本プロ野球機構(NPB)は、今もなお外国資本の導入を禁止しているようです。しかし、実質的には、昔から外国の企業のオーナーが日本企業のオーナーでもあり球団を保有しているのも事実です。これが許されているのなら、何故外国資本が日本球団に入ってはならないとする論理が成り立つのでしょうか。
著者は、東京読売巨人軍には外国資本を導入して未来志向の日本野球の発展に寄与して頂いてもよいのでないかと思います。このままでは、完全なるMLBのファームは避けられない状態となったことをお伝えいたします。
例えば、米国の大学競技スポーツに於いてオレゴン大学では、確か5,6年前に大学の卒業生でもあり、陸上競技部の学生選手でもあったフィル・ナイト氏は同氏がナイキ(NIKE)社の最高経営者を退任する際に大学に対して、大学の競技スポーツ発展に寄与する為に、個人の資産から約4900億円を寄付されました。その為にオレゴン大学(公立)のキャンパスのスポーツ施設は、NIKE キャンパスと言われるに至り、大学はNCAA(全米大学競技スポーツ協会)に所属する1275校の頂点に施設も競技力も向上し、一躍大学はスポーツ事業による大金の生る巨木に短期間で成長しました。NIKE社の創設は、当時のオレゴン大学陸上部監督のビル・ヴァウアマン氏がヘイワードフィールド(当時の陸上競技場の木造の観客席の下の工房)で起業されました。その時にオレゴン大のB・ヴァウアマン氏の教え子で元学生選手であった、フィル・ナイト氏をビジネス担当として迎えたのでした。B・ヴァウアマン氏亡き後、NIKE社は、P・ナイト氏により継承されて参りました。
キャンパスには、体育学、スポーツ医科学、リクリエイション学、スポーツ・ビジネスマネージメント学部に隣接する巨大なフィットネスセンターを中心に、30000人収容する陸上競技場(22年世界陸上ホスト)、15000人収容するバスケットアリーナ、80000人収容するフットボールスタジアム、20000人収容するベースボールスタジアム、ソフトボール、サッカー、等々のスタジアムと特にスポーツ・ビジネス、マネージメント、スポーツ・アドミニストレイションに必要な学部・学科、大学院の資質の向上に、この投資されたお金は有効に活用されています。
東京読売巨人軍は、借り物のスタジアムでなく東京に相応しいベイスボールスタジアムを独自に持つ事がその未来を象徴する星となるのではないか。今日では、既に役目を終えた新聞業界で何時までも新聞拡販事業のレベルではなく、ド~ンと日本の競技スポーツ界を背負うくらいの度量を持ってしては如何か。ここに「発想の転換」の必要性を提案する次第です。
スポーツ・アドミニストレイター
スポーツ特使(Emissary of the Sports)
紹介:G-File「長嶋茂雄と黒衣の参謀」発行 文藝春秋社 著 武田頼政
本著は、2006年10月13日発売、翌年完売の為現在はAmazonで中古オークションで入手可能。河田弘道の西武・国土計画、東京読売巨人軍での激闘の日々のドキュメントです。登場人物は、全て実名です。
Kファイル、KファイルNews
Comment by Hiromichi Kawada
お知らせ:阿部慎之助監督へ、貴殿の2年目のシーズンは、如何でしたか。あまりにも長すぎた原辰徳前監督の後を継承されました。当時原監督の下で二軍監督に推薦され原体制を支えてきました。しかし、原体制には、全く将来へのビジョンも無くただある戦力を食いつぶしてしまった負の遺産であったのではないでしょうか。あなたは、それを知りながら負の遺産を継承されたのですから、それも仕方なしですか。


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