K'sファイルNO.95:今日のスポーツ電通の礎84ロス五輪とは!
K'sファイルNO.95:今日のスポーツ電通の礎84ロス五輪とは!
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第一弾:五輪の革命とその変革(Change)
1.アマチュアスポーツをビジネス化
①スポーツがビジネスCOREに
1970年代の世界のスポーツ界は、当時の世界的な経済の動向に強い影響を受けていました。70年代は、スポーツに関連する事業形態が、それまでとは異なるその名も「スポーツ・ビジネス」として産声を上げようとしていたのです。これは、丁度私が米国の大学に渡ってまもなく米国に於いてもスポーツの変革の時期と時代を同じくしていたように肌で感じました。
70年代に入って、本格的にスタートしたスポーツ・ビジネスは、その後新しい可能性を求めて次世代に引き継がれ今日に至っています。
オリンピック大会(略:五輪)のスポーツ・ビジネスの新しい可能性は、1966年に国際オリンピック委員会(略:IOC)委員に就任、70年に理事に昇進、そして80年には、第7代IOC会長に選出された、アントニオ・サマランチ氏(Juan Antonio Samaranch、1920~2010スペイン、バルセロナの生まれ)のリーダーシップにより変革されて行きました。
同氏は、その過程に於いて、IOC内外での政治的手腕を最大限発揮し、将来のオリンピック発展構想の推進役を担った人物です。1998年の長野オリンピックは、サマランチ氏と堤義明氏(当時西武・国土計画会長)との間の公私に渡る関係で成立した事は有名です。そして、長野五輪開催によりモナコに黄金の御殿が建てられたとまで揶揄された人物でも有りました。世界のスポーツ界の変革に貢献したBIG3の1人です。
③アマチュアリズムの功罪
スポーツという概念は、元来ヨーロッパの騎士道の精神に由来して白人の文化社会の流れを受け、アマチュアリズムが19世紀に英国で生まれたと言われています。このような白人(アングロサクソン)の特権階級の精神を「アマチュアリズム」として長年継承して来たのです。
ピエール・ド・クーベルタン男爵(フランス、1863年~1937年)は、フランスの教育者であり、古代オリンピックを復興させ近代オリンピックの基礎を築いた創立者です。同氏が提唱した「オリンピック憲章」の「アマチュア規定」は、オリンピック大会及び選手、競技関係者達の自由をアマチュアという枠組みで縛って来た為に段々とオリンピック大会の開催自体を疲弊させていきます。財政的な赤字を伴う事で各国の主催都市は招致に消極的になり激減します。この事がIOCにとって最大の問題の一つとなっていくのです。
④アマチュアとの決別
アマチュアのコンセプトは、そもそも「選手は、スポーツによる金品の授受及び生活の糧として受けてはならない事、指導者、関係者は、スポーツによる一切のビジネスは認められない事、また、それによる金銭の授受及び生活の糧を受けてはならない事」でした。
このアマチュア精神が形骸的に名残りしているのは、我が国に於けるスポーツ競技団体の役員、関係者の無給でバランテイアと言わしめている所以が此処にあるのです。よって、この競技団体の役員達は、無休でバランテイアーなので責任は無いのだと言いたいのです。2020東京五輪組織委員会の理事及び役員、スタッフは、高額な有給者です。
そこでA・サマランチ氏は、自身がIOCの委員時代から本オリンピック憲章のアマチュア規定の問題を検討課題とし、1970年のIOC理事昇格後には憲章からアマチュア規定の削除を提案し、それ以降強力に推進して行きます。
その結果、1974年にオリンピック憲章の五輪参加資格から「アマチュア」という文字を削除する事になったのです。
丁度この時期のスポーツ界のポリテイカルな様相は、IOC会長のA・サマランチ氏(スペイン)を筆頭に国際競技連盟(略:IGB)のメジャー競技スポーツとされる国際サッカー連盟(略:FIFA)の会長にジョアン・アベランジェ氏(ブラジル)、国際陸上競技連盟(略:IAAF)の会長にプリオ・ネビオロ氏(イタリア)と白人主導からラテン系主導へと歴史が移行した事もサマランチ氏にとっては追い風となり、改革がスムーズに遂行出来た要因でした。当時、国際マスメデイアは、こぞって彼らを「ラテン系スポーツマフィア」と呼び、また彼らの言動、行動が積極的且つ手荒かったのも事実でした。
これは、オリンピックをビジネス、商品(Merchandising)として捉え、また競技選手(Athlete)も商品であり、プロフェッショナルとしての出場を公認する出来事へと発展させた、オリンピック革命と言われるスポーツ界最大の変革の時期であったのです。
日本に於いては、このような世界の動向から約10年後の1986年5月に、日本体育協会
(略:JSA、現日本スポーツ協会)が従来の「日本体育協会アマチュア規程」を廃止し、代わりに「スポーツ憲章」制定し,加盟競技団体の登録競技者の資格規程を改めます。しかし、今日に於いては、この新しく制定した資格規定も中途半端な規定であり、プロ競技者、企業スポーツ競技者、大学教育機関に所属する学生選手、高校教育機関に所属する生徒選手、及びそれらの指導者、運営、管理者に於いて、規定内容は明文化されておらず、また罰則規約が皆無に等しく、ただ単に混乱を来している状態であると思われます。そして、このような状態が今日、我が国のスポーツ界、競技スポーツ界の不祥事を色濃くしている最大の要因の一つであると考えられます。
2.スポーツ・ビジネスの夜明け
~今日のオリンピック・ビジネスが体系づけられた実践と成果~
①五輪にスポーツ・ビジネスアドミニストレーターが出現
このようなオリンピックの歴史を背景に、1980年にロサンゼルス・オリンピック大会組織委員会(略:LAOOC)の委員長に任命されたP・ユベロス氏は、IOC会長のサマランチ氏の掲げたオリンピックのビジネス化を自らの手で実践され、確立されたカリスマ的人物と申し上げても過言でありません。
今日のスポーツ・ビジネスの源は、この時代にこのような人達によって体系付けられたのです。
1980年よりP・ユベロス氏がロス五輪で実践したスポーツ・ビジネスは、オリンピックだけでなく世界のスポーツ界のビジネスコンセプトを根底から変革するに十分な実績を残したのです。世界のスポーツ界のBIG3のもう1人です。
②84ロス五輪はオリンピック・ビジネス元年
1984年ロサンゼルス・オリンピック大会は、オリンピックのビジネス元年と称される所以なのです。それまでのオリンピックは、常に開催国の赤字負担によるもので、段々と五輪大会が開催国、主催都市の重荷になり、IOCでは、大幅な縮小が声高に叫ばれるようになっていた時代です。しかし、サマランチ会長のリーダーシップにともない、それまで定説となっていました「アマチュアと呼ばれていたコンセプト」を五輪憲章から削除した事によりスポーツ界のあらゆる面に於いて一大変革を起こしたのです。
これにともない1980年にロサンゼルス・オリンピック組織委員会(LAOOC)の委員長に就任したP・ユベロス氏は、サマランチ会長のIOC改革の急先鋒としてスポーツ・ビジネスを実践し偉大なる成果と結果を残したのです。
①P.V.ユベロス氏の略歴
ピーター・ヴィクター・ユベロス(Peter
Victor Ueberroth)は、1937年9月2日生まれ、米国実業家、1984年ロサンゼルス・オリンピッ大会組織委員長、赤字続きのオリンピックを黒字に転換した人物、その後第6代MLB(メジャーリーグ)コミッショナー、等々を歴任。
彼は、オリンピック創設者のP・クーベルタン氏が死去した1937年9月2日に米国イリノイ州で生まれる。この事からも人は、彼を長じてフランス人貴族のピエールが産み、育てたオリンピックの救世主と呼ぶようになったのです。この奇妙な因縁を人は語り継いでいるのです。
IOCは、78年5月、アテネで開く総会で84年開催都市を決める予定でいたのです。しかし、立候補は、ロサンゼルス市のみ、しかも、申請書によればロサンゼルス市は、財政を保証せず、一切の責任を負わない。民間の任意団体、南カリフォルニア・オリンピック委員会(SCCOG)が民間資本を導入、運営する予定になっていた。
IOCは、困惑しました。長い歴史で考えてもみなかった事態が起きたのです。その理由は、76年モントリオール大会の巨額赤字、加えて冬季大会開催予定の米国デンバー市の大会返上でした。
ユベロス氏は、カリフォルニアで育ち、高校時代はフットボール、野球、水泳で活躍。大学は、サンノゼ州立大に進み、水球で活躍、1956年メルボルン・オリンピックの代表候補、代表にはなれなかった。卒業後、トランス・インターナショナル航空に就職、63年に自ら旅行会社設立、その後北米NO.2の旅行会社に成長させた。1980年、その手腕を評価されロサンゼルス・オリンピック大会組織委員長に就任した。(以上~P・V・ユベロス氏バイオグラフィーより~)
1.40歳から55歳
2.南カリフォルニア在住
3.企業経営経験を有す
4.スポーツ好き
5.経済的に独立
6.国際情勢に通じる
我が国の五輪組織委員会は、何故このような民主的なフェアーで透明化した組織委員会、会長の人選を行わなかったのか(実質は、密室での談合により決められた)。また、P・ユベロス氏と20東京五輪組織委員会・会長を選考基準から比較して、どのような人物が適任者であるかは、一目瞭然であると筆者は、スポーツ・アドミニストレイターとして確信致す次第です。
*同氏の信条は、伝統を破壊せず。革新的であっても伝統を破壊してはならない。無駄を省き経費をかけないが、親しみやすさのなかにも威厳も必要だ。
(産経新聞特別記者 佐野慎輔氏より)
上記LAOOC会長のP・ユベロス氏と2020年東京大会組織委員会・会長とのプロフェール(既に皆様はご存知の通り)を比較して下されば、その違いは、歴然と理解できるのではないでしょうか。
この様な透明で国民、社会に開かれたLAOOCのような組織・団体は、日本の公益財団法人2020五輪東京組織委員会に必要不可欠な構造とシステムだと思います。国民、社会から選ばれたクリーンで一流のスポーツ・ビジネスアドミニストレイターが率いる組織では、我が国で起きる様な「諸般の疑惑並びにアンフェアーな所業」は起きにくい事を読者の皆様に理解して頂ければ幸いです。
我が国のスポーツ組織・団体にこのような構造とシステムを兼ね備えた組織・団体が出来ない主因の一つは、国民、社会が無関心を装う事にあるのではないのでしょうか。「JusticeとFairness」は、我々国民、社会に「共存共栄」をもたらす根幹を成していることへの理解と認識が薄いのでないか、また理解、認識していても如何改善、改革するかのスポーツ・アドミニストレイション力と行動する勇気が欠落していると筆者は思わずにはいられません。
これらは、やはり人が組織を作る事から、関係する人の資質がどのような組織、団体を構築するかの手本となった例ではないかと筆者は、考える次第です。
しかし、20東京五輪招致委員会、組織委員会は、この民主的で国民、社会の為になるロス五輪方式に目もくれず、今日の利害、利権構造の組織委員会、団体へと強引に推進した責任者達の罪は計り知れないと思われます。そしてこの莫大な負担を今後国民、社会に強いることを我々は認識すべきなのです。
此れも我々国民、社会が強引な委員会関係者に対して“NO”を突き付けられなかった事は、今後負の遺産と化すと思われます。その為にも国民、社会の皆様方の民意を先ず向上して頂く為にも、スポーツ・アドミニストレイションに興味を持って頂き必要で最小限度の知識及び情報提供が必要であると考えK’sファイルを発信させて頂いております。
スポーツ・アドミニストレーター
スポーツ特使(Emissary of the SPORTS)
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