Kファイル/スポーツドクトリンNO.314:長嶋ジャイアンツが壊れた事件簿

 Kファイル/スポーツドクトリンNO.314:長嶋ジャイアンツが壊れた事件簿

 無断転載禁止       2025717日 木曜日 公開

 河田弘道

スポーツ・アドミニストレイタ-

スポーツ・アドミニストレイションの基軸は“Justice正義&Fairness公正

日本にスポーツ・アドミニストレイション論の必要性を紹介

日米で実践してきたスポーツ・アドミニストレイターの先駆者

(プロフィールは別途ご検索下さい)

 

故渡邊恒雄氏・故長嶋茂雄氏それぞれの巨人軍への思惑

著者の追憶から

 KファイルNO.313は、長嶋茂雄氏への「お別れの言葉」とさせて頂きました。読者の皆様は、それぞれのお立場と知識、興味により異なる読後感を持たれた事とお察し致します。 

昨年(20241223日)、KファイルNO.308では、渡邊恒雄氏への「お別れのご挨拶」を書かせて頂きました。そして、その半年後の本年6月に長嶋氏は、後を追うかのように現世を去られました。人の噂も七十五日とよく日本社会では、申されますがこのことわざは寂しく響きます。それもそのはずか、渡邊恒雄氏の話題は、長嶋氏の話題と比較しますとマスメディアにしてみれば遥かに高価な商品価値を有するゆえんに他なりませんでした。

先月63日にこの世を去られた長嶋茂雄氏は、連日連夜とTV、マスメディア問わず報道、放映されました。しかし、四十九日を迎える前に話題が消滅傾向にありますのは、マスメディアの報道目的があまりにも芸能タレント扱いされていたことに起因されるのかもしれません。その証として、確か亡くなられた翌日には、長嶋家のスポークスマンからか「葬儀は、身内のみで行います。後ほど偲ぶ会を執り行う予定」との告知をされたかに理解しておりました。しかし、その告知の舌も乾かぬ間に、我先にとばかりに誰もかれもがご自宅に押し掛けては玄関先でTV、マスメディアに顔出し、取材を受けるという言わば弔問の趣旨、目的が全く異なる展開となり、告知は何の意味も成しませんでした。 

その後、告別式が執り行われ此処に於いても我先にと顔見世興行的な告別式であった模様です。小生の所には、マスメディアから「ご出席されますか」との多くの問い合わせを頂きましたが、「私は、冠婚葬祭への出席は元来ご遠慮させて頂いています」との回答をさせて頂きました。

「偲ぶ会」は、多分東京読売巨人軍のシーズン終了後、優勝祝賀会と同時に読売新聞社主催で興行として執り行われるのかもしれません。それがために長年読売新聞社は、長嶋一茂さんの面倒を見られ、長嶋茂雄氏を名誉監督としてお抱えして参られたはずです。

今日では、人の噂は四十九日と噂も短縮されたようです。ならば、あのようなお祭り騒ぎのTV、マスメディアの報道は、人の死までも商売にする商魂たくましい人達が長嶋茂雄氏を取り囲んでいた様子を改めて学習させて頂いた次第です。

一方で、延々と続くのは、根拠も無い匿名の長嶋ファミリーへのスキャンダラスなバッシングが連日、連夜とSNSを通して止まない現実を読者の皆様はご存知ですか。ご家族の皆様の心中を察するにあまりあります。お子さん達が一体何をしたというのでしょうか。父親が日本国に於いて一世を風靡したスーパースターという事で何故こうも匿名の人達に誹謗中傷をされなければならないのか。長嶋ファン、ジャイアンツファンは、何故声を大にして問題を指摘されないのか。沈黙は、美徳なのでしょうか。日本人の道徳観念は、どうしてしまったのか。この国の司法は、何故このような傍若無人な匿名記事を放置させておくのでしょうか。ご家族を残して去られた長嶋ご夫妻は、別世界で何と憂いていることでしょう。主権を失った日本は、このようなところにも表れている事をどれほどの国民が認識しているのでしょう。

著者は、真の長嶋ジャイアンツによる球団の改善、改革が志半ばにして崩れたのは球団最高経営者の重鎮達が、渡邊恒雄氏への情報操作によるミスリードであったと追憶します。それは、1997918日の紀尾井町の料亭での会談であったことです。その会談の前提に起きたトリガー(銃の引き金)は、渡邊恒雄氏の盟友の中曽根康弘氏の重鎮達の子息を当時の国政選挙の立ち合い応援演説に長嶋茂雄現役監督をそれもシーズン後半のメイクドラマを完成する最中に立たそうと無理強いした事です。それを小職(河田)が阻止したことに端を発した事でした 

即ち、渡邊氏の重鎮達は、本件を長嶋ジャイアンツの屋台骨である長嶋茂雄監督を裸の王様にして、彼らが自由に東京読売巨人軍を操ろうと画策、決断したと著者は推理していました。

その根拠は、当時本社重鎮の中に「元堤義明の側近に東京読売巨人軍を牛耳られても良いのか」との発言を会議で行ったという人物が居た事を小職に報告が入ったことでした。小職は、何と小心な番頭どもかと思わずにいられなかったことを鮮明に記憶いたしております。

当時東京読売巨人軍の戦況は、1994年のメイクミラクルを達成、球団創設60周年記念行事を終え、199675日迄11.5ゲイム差で3位に位置し、開幕後からティームの修正をしながら75日からの札幌シリーズ(対広島戦)の準備をして参り、9月には借金の返済も終えていよいよメイクドラマを完結する手前での出来事でした。 

小職は、「株式会社よみうり」との契約内容を遂行することを最優先に妥協の余地はありませんでした。小職が妥協を許さなかったのは、東京読売巨人軍の監督がこの大事なのるかそるかのシーズンの終盤にユニフォームを着たままで、自民党の重鎮達の息子の為に立ち合い応援演説に千葉,佐倉に赴き立たせるなど前代未聞であったに他なりません。このことは即ち長嶋茂雄監督及びご家族一同の反対を押し切ってまで、やらせることは球団として野球界の汚点として末代まで語られることでした。長嶋ジャイアンツの番頭をあずかるこの小職は、身を挺してでも止めさせなければならない状況下に置かれました。読者の皆さまならどうされましたか。己の身の保身を最優先にされましたか。

 最終的には、読売新聞社の最高経営者と小職の間の東京読売巨人軍及び長嶋茂雄氏に関する価値観の齟齬があったことが表面化しただけの出来事であったのかもしれません。

読売新聞社は、いまだに東京読売巨人軍を同社の新聞拡販の道具と位置付けているのであれば、今後球団の発展は難しいと思われる次第です。もうそのような時代ではありません。

小職は、今もなおあの当時の決断と行動には一点の迷いもありませんことを読者の皆様にお伝えして、KファイルNO.308をこの機会に再読して頂けましたらより一層理解が深まるとの思いを込めて掲載を決断致しました。

著者 河田弘道

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Kファイルスポーツ・ドクトリンNO.3082025年荒れ狂う世界情勢の中のスポーツ界 

その1.渡邊恒雄球団オーナーの狂気の決断

無断転載禁止

渡邉恒雄様

心よりご冥福をお祈りいたします。

G-ファイル「長嶋茂雄と黒衣の参謀」をご熟読頂き、貴殿の判断で人事処理をされた事は、評価しています。小職の退任後、貴殿と約2年間コミュニケイションを致した日々を懐かしく思います。多分貴殿のお計らいで長嶋茂雄監督を社長の名代にされて、あらゆるオファーをされて参られた2年間でしたが、筋の通らないオファをお受けできませんでした。そのお気配りと配慮に対しては、心より感謝申し上げています。

貴殿が社内外に対して一度も誰にも「G‐ファイル 長嶋茂雄と黒衣の参謀」の著書に対するコメントも暴言も口にされなかったことは、さすがと評させて頂きます。それに伴い小職の事が、貴殿の喉に小骨が刺さっていた事は、承知致しております。

貴殿の大切な部下の一人とそのご家族は、「長嶋監督は何も動いて下さらない」とのご家族からの小生への切なる願いに配慮させて頂き、氏家斎一郎氏(日本テレビ最高経営者、会長)にフォローして頂くようお願いしました。同氏は、貴殿に代わって手を差しのべられた事を記憶しております。同氏は、氏家氏のお力沿いで最終的には民放連の会長にまで昇られました。ご本人もご家族様もお喜びになられたのでないでしょうか。ご家族からは、後に感謝と礼状を頂き未だその文はGファイルに保管させて頂いております。どうかご安心して旅路に着かれて下さい。

「東京読売巨人軍は、永久に不滅」とは参りません。貴殿の様な強いリーダーが居なくなりましたので、今後は厳しい業界の荒波の中で迷走を余儀なくされるかと思われます。

貴殿は、生涯を政治ジャーナリストとして貫かれた日本のジャーナリストの鏡です。貴殿の心残りは、これからの日本国の行く末でしょうか。東京読売巨人軍の行く末など、貴殿の眼中には存在しない事は、百も承知いたしております。日本政府が沈没しないように確りとした羅針盤を届けてあげて下さい。 

本当に貴殿からは、沢山の事を学ばせて頂きました。短い期間ではありましたが、在任中に「メイクミラクル、ドラマ」を果たせました事と見ず知らずの小職に長嶋ジャイアンツを託して下さったことに対しては心より感謝申し上げます。どうか心安らかにお休みください。 深謝

河田弘道 拝

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KファイルNO.308

序文

昨年暮れも押し迫った1219日の午後、長年プロ野球界を騒がせ、政界のフィクサー役を務めてこられ強烈な印象を残された一日本の政治記者氏、読売新聞グループ本社の代表取締役主筆の渡邉恒雄氏が98歳で死去された事が著者のもとにも届きました。その後マスメディアは、同日夜中から明けて20日未明に訃報が流された次第です。 

丁度著者は、長嶋茂雄氏が東京読売巨人軍の第二次政権を受託された2年目から長嶋茂雄氏が編成統括常務取締役兼監督を受諾された事を確認、と同時に小職が常務取締役兼監督補佐をお受けする為の契約書に署名捺印したのでした。そして監督から渡邉社長をご紹介された次第です。

小生は、当時既に日本企業のトップに位置されていました西武・国土計画社長の堤義明氏、電通社長の小暮剛平氏、NEC日本電気の小林会長、関本社長(当時は東京読売巨人軍の長嶋ジャイアンツを応援する燦燦会の筆頭幹事役でした)、江頭専務の下でお世話になっていました。これらの関係から、渡邉恒雄社長の下でお世話になる事は、其れ迄のサービス企業、広告代理店企業、メーカー企業の経験に加え、また新たにマスメディアの最高経営者に出会うご縁を頂いた次第でした。

私は、長年の米国生活の当時より自身を「何て数奇な運命を渡り歩く事になってしまったのだろう」と自問自答していた事を思い出します。此のことは、今も尚自身の数奇なDestiny(星の下に生まれた)に翻弄されながら、与えられた人生行路を歩み続けている事に変わりは在りません。 

■マスメディア企業との出会い

著者は、それまでにスポーツ事業を通してテレビ業界、新聞業界と関り大変貴重な体験をさせて頂いて参りました。この度東京読売巨人軍の経営母体であります讀賣新聞社は、巨人軍の直接的な経営母体である為、運営、管理に於いても讀賣新聞本社の各部局(政治、社会、スポーツ事業、運動、社長室、等々)との接触は避けては通れない組織構造でした。此処に於いても日本のマスメディアの組織とその構造と人脈、人間関係、外部企業との接触、接点を学ぶには、最高の環境と場を与えて頂いた次第でした。

 この様な社会では、高等教育機関で学ぶ机上の空論は通用せず、日々が実践の中に於いての成果と結果が問われる紛れもない「生き馬の目を抜く戦場」と申し上げても過言でありません。幸い私は、以前に日本に於いてこの会社以上に特殊な経営、運営、管理をされている会社・企業は無いと当時言われていました「西武・国土計画」に所属し、その最高経営者の堤義明社長の側で日夜鍛えられていましたので、「株式会社よみうり」に於いて起きる多種多様な出来事及びその難題もあまり苦には感じられませんでした

しかし、プロの競技スポーツのアドミニストレイションに国会議員の政治家達の忖度を持ち込まれてきたのは、小職に取っては初めての経験でありました。本件は、後ほど渡邊氏、中曽根氏、長嶋氏の関係に触れざるを得ない出来事に発展して行った事は、スポーツが政治と政治家の道具にされている我が国日本の実態を学ぶことと相成った次第でした。

■マスメディア企業の特徴

読売とは、其れ迄著者が日本に於いて実践を通して学び、経験、体験して参りました西武・国土計画のようなサービス企業、広告媒体企業、NEC日本電気のようなコンピューターのメイカー企業でのスポーツ・アドミニストレイター業務とは、大きく異なるのがマスメディア企業である事でした。

その特徴は、マスメディア企業にとって、国民とその社会に必要かつ有益と考えられる忖度を含んだ情報が24時間報道し続けている事でした。私の職場であった東京読売巨人軍は、親会社である読売新聞社、そしてその関連会社の日本テレビ放送網、巨人軍の広報媒体であるスポーツ報知に対して、連日連夜これら媒体会社に商品としてのソースを提供する事が重要であり、いわば身内の媒体企業の中核を担う、即ち購買力の高い商品をプロデュスする役割に位置している事を契約と共に実感した次第でした。此れも私に取りましては、長嶋茂雄氏を監督として勝利しなければならない条件の中での新しい学びの場を提供して頂きました。このような経験は、お金を払っても経験できる事でないことは読者の皆様ならご理解していただけるのではないでしょうか。 

■吠える、怒鳴るはナベツネさんのトレードマーク

 渡邊恒雄氏は、若かりし頃若気の至りか、或いはやんちゃ坊主であったのか何と共産党員であったエピソードが事実として語り継がれている事です。その後何が同氏に影響を与えたのかはぞんじ挙げませんが、昭和25年に読売新聞社に入社し、政治部の記者として自民党の大野伴睦初代副総裁や中曽根康弘元総理を長く担当し、政治部長や論説委員長も務められました。そして同氏の才能は、1政治記者にあらず雄弁でジャーナリストとして長年中曽根番記者を務めて来られた方とは思えない真の政治家であり、また政界のロビーイスト、フィクサーでもあったと著者は確信致しております。 

スポーツ・アドミニストレイターの視点で述べさせて頂きますと、渡邊氏は、スポーツには興味もなく東京読売巨人軍は彼にとって読売グループの金(かね)の生る木と位置付け、巨人軍は自らの政治活動のツール(道具)として考えていた方であったと小職が球団在籍時に確信を得たのでした。その根拠は、至る所で小職とは政治がらみでぶつかりましたので私に取りましては生きた教材となった次第です。 

それは、東京ドームの全てのホームゲイムには、ネット裏の最前列の讀賣席(通称:読売新聞接待席)のセンター席(アンパイア―球審の真後ろ)には、自身の盟友であり仲間であり、讀賣と政界を繋ぐドンであった中曽根康弘氏が常に野球帽を被って観戦している姿を日本テレビはそれとなく、さりげない手法で映していたのを視聴者、読者の皆さんも見かけたのではないでしょう。

また、その最前列席には、毎試合異なる政治家達、とその要人たちが顔を出し、時には、大学教育機関の経営者達、財界人とその家族達、スポーツ協会の重鎮達、等々に有効活用しているのもその実態と証です。最上階の讀賣のスイートブースには、利害関係の高い順に招待される特別室が設けられ、渡邊氏の了解を得たうえで接待所として活用しているのもその証です。渡邊氏が来場する日には、全ての招待所は主に政治家達の団欒の場と化していたようです。

これらは、全て人の一番弱点であります大観衆の面前で己を「優越感」で満たそうとする名誉欲を擽る手法を巧妙に利用、活用しているマスメディアならではの知恵なのかも知れませんでした。片や、西武・国土計画の堤天皇が用いる手法は、もっと直接的で強烈な印象を相手に与える所が異なりました。

■野球選手・監督は男芸者の究めか

この言葉を残したのは、既にマスメディアを通じて読売新聞社の歴代の最高経営者兼巨人軍オーナーが過去三代に渡り平然と口にして来た野球選手と監督を「冒涜」した言葉を継承して来たのでした。 

政治利用の極め付きは、小職が在任中に起きました出来事で東京読売巨人軍の監督(長嶋茂雄氏)を政治の道具に使う事件が起きた時に遭遇してしまったのでした。この事件は、忘れもしない1996年の8月下旬から9月上旬にかけての出来事でした。丁度この時期は、ティームが7月迄既に首位と11.5ゲイム差まで引き離されていた状況を地道に個々の選手達のコンディショニングを整えた結果、75日からの札幌シリーズから借金の返済を済ませ「メイクドラマ」を完結しようという矢先の出来事でした

それは、丁度衆議院選挙日を控え、当落線上の出馬候補は、藁にもすがりたい時期であったのでしょう。その出馬候補は、自民党公認の水野賢一氏でした。水野氏は、養父に水野清氏(元建設大臣)、実父に中尾栄一氏(元建設大臣)を持ち、初の衆議院選に千葉9区から出馬されたのでした。水野、中尾両氏は、中曽根康弘氏の側近であり渡邊恒雄氏は中曽根氏の面子にかけても賢一氏を当選させなければとの思いは理解できます。

それも千葉9区は長嶋氏の生地である事からも、何としても長嶋監督の手を借りてとの思いで、監督にシーズン中の選挙立会演説に出て欲しい事を伝えた次第でした。長嶋監督は、監督にして頂いた渡邊氏への恩義もある、中曽根氏とは、長年プライベイトの深い関係でもある事からも、自身渡邊氏にはNOは言えないので「Yes」を言ってしまったのでした。

■巨人の勝利より政治活動を最優先するナベツネさん

YES」を言った時点で、本件の尻ぬぐいは、必然的に小職に回ってくるが日本社会の掟である事は十二分に承知していたのです。何故ならば小職の直接的なボスは、長嶋茂雄(編成統括常務取締役兼監督)であり、そのボスがしでかした事件の後処理は補佐役の小生の「Duty(強い義務感)と割り切らざるを得なかった」が正直な気持ちでした。本事件を知る球団の数名の幹部は、既に腰が据わらず斜に構えての逃げ腰である事も承知いたしていました。小職を短時間の間に此処迄腹を括らせたその大きな動機と要因は、幾つか挙げられました。 

1.     長嶋氏の生地に存命の長嶋氏のお兄様の意思:茂雄は、今日迄どんな党派の政治家にも偏った個人的応援をして来ていない。何故今これを茂雄はやらなければならないのか。ましてや、水野は地元で評判の悪い人間だ。此れを長嶋夫人に昼夜を問わず止めさせろとの激怒が止まない。

長 長嶋夫人は、何度主人に夫人の意思と義兄の思いを伝えても監督は只黙り込むばかりである事。 そこで、長嶋夫人は、持って行き場所を失い夜夜中に河田の自宅に緊急避難のコールを入れて来た。それ以来翌日から昼夜を問わず電話の嵐は止まず。 河田は、日々のるかそるかの勝負をしている通常業務の中で、本件は負担且つストレスフルの何物でもなかった。しかし、時間がないと判断した。

5.     河田の決断の第一段階は、その夜のホームゲイム終了後監督室に入り、人払いをして本件の経緯、身内の問題、監督自身の本心を問いただした。その本件の経緯の中に於いて、渡邉社長に「Yes」を言った事実、その後本人水野賢一氏から監督に挨拶があった時に「引き受けた事実」を確認した。

6.     上記確認事項をメモした後、小職は、監督の正直な気持ちを確認した。しかし、「もうご自分では、どうする事も出来ない事を露呈」そこで小職に一任するので何とか「応援演説に立たなくてすむ様にして欲しい」との悲壮な願いを話された

そして、監督室でのミーティングも深夜に及び、コーチ陣達は、帰宅も出来ず隣のコーチ室で何事かと聞き耳を立てている状況であった。最後に河田から、長嶋夫人から小職に家族会議の報告があった「本件が何ともならない時には、長嶋茂雄はユニフォームを脱いで、千葉9区の地元での立ち合い演説会に向かう」という事に監督は、同意したのか否かの確認をさせて頂いた。その結果、「首を縦に動かした」のが返事であった。この静かなシグナルは、監督は河田に一部の望みを期待している様子が見て取れた次第でした。

スポーツ・アドミニストレイターとしての信念

■時間との闘いが始まった

小職は、監督への本件の事情聴取を終え、監督から本件処理に関する河田への一任をされたので、監督室を後にしました。夜中近くの監督室の出口付近には、記者達がドームの関係者入り口にはパパラッチ達が待ち構えていたのを記憶しています。私は、その群れに目もくれることなく球団の広報部長を待たせていたので、某所に移動して事の次第を説明、広報部長の意見を聞き今後の小職の取るべき道とその段取りを伝えて午前2時過ぎに散会して帰宅。

そこには、既に数名の何処かの記者達が自宅の通りにたむろしていたが、「御苦労様」と一礼して家に入った次第です。此処から深夜のデスクワークが始まり、本日の整理と翌日の段取りを立てるには、睡眠時間を割愛せざるを得なかった。そして、午前6時には、監督からの電話が入り、続いて監督の散歩中には監督夫人から電話が入りましたが、双方には、昨日までのまとめと本日の段取りを伝え、監督には本日の試合開始前の通常の試合に関する河田とのミーティング後、本件の動きとその経緯、結果の報告をする事を約束し、散歩に出て頂いた次第でした。

あまり躊躇する事は在りませんでした。問題は、後24時間以内に本件に付いて誰が渡邉恒雄社長と渡り合うか、が今目先のプライオリティーでありました。本件に付いての小職の腹は、昨夜の監督とのミーティング中に既に固まっていました。その為にも、河田は自身が交わした「株式会社よみうり」との契約書をもう一度確認する必要があったので確認した

其の後、最悪のシナリオを描きその対処法をリストアップした次第です。河田の最悪のシナリオは、河田自身が明朝朝一で大手町の読売新聞本社の渡邉社長を訪れる事が前提のシナリオでありました。しかし、日本社会、会社、組織の慣例から誰がその任かを冷静に検討する必要があり、これに付いても私が信頼をよせていた球団広報部長(小職が就任後、讀賣本社の社会部の辣腕記者氏)の意見を伺い、讀賣組織の人事序列の指導を受けた次第です。勿論私河田の意見を述べた後、同部長の意見を伺った記憶があります。その人物は、私の意見と同人物であった事でホッとした事を覚えています。

この度の一件で今渡邉社長に進言する立場にあるその方は、小職が球団と契約した後に渡邊社長の計らいで社長特使として球団にスポーツ事業局からおい出て頂いた元政治部出身者でした。この特使が来て頂き渡邉社長の周りで起きる巨人軍に関する情報は、オンタイムで私の耳に入れて下さるので、非常に作戦が立てやすかったのは事実でした。そして、私が信頼を寄せていましたのは、本特使は社長のご親戚であり、日本テレビの最高経営者の氏家斎一郎氏が同夫妻のお仲人であられていたことでした。

■翌朝の社長室は怒鳴り声の応酬が

小職の腹は、固まっていたが本件を社長特使にお願いして、渡邉社長と話し合って頂く事が先決でした。そこで同特使に河田は、直接お会いして事の次第をご説明、事態の状況の情報を提供しました。その結果は、案の定同氏は逃げ腰であったので私は、間髪入れず「貴殿がこのお役目であると確信しています」が如何でしょうか。もしあなたが自身の役目では無いと明言されるならば遠慮なく、私にそう言って下さい。 

私(河田)は、本件に付いて処理する任に無い事を契約書で確認しております。貴殿も申されている通り「本件は、長嶋茂雄監督兼常務取締役が渡邉社長にNOを返すのが筋です」、しかし、それが出来ないので立ち往生しているのです。僭越ながら、私は、本件の処理に対する腹は括っていますので、社長特使の了解があれば私が明朝本社社長室を伺い、社長に直接談判をさせて頂く所存です、が宜しいでしょうか。

私がここ迄貴殿に申し上げるその根拠は、「国民的ヒーローの長嶋茂雄をユニフォームを着たまま一自民党の若造政治家の立ち合い応援演説に、それもペナントのかかったこの詰めの段階でこのような醜態を晒させられない事」という事です。これは、東京読売巨人軍の歴史のみならず、日本球界、社会、国民に汚点を残すことになります。この時の長嶋茂雄監督の補佐(番頭)役が事もあろうか河田弘道であったとなれば、長嶋茂雄氏及びご家族、日本全国の長嶋ファンに申し開きが出来ません。本件に付きましては、「小職の職務と責務として体を張って行動致します」、そして阻止してみせます。私は、貴殿のお立場を考えて、先ず貴殿の意向を伺ってから行動しようと思います。

■社長特使の決断と結末

これにより社長特使は、渡邉社長との談判に参らざるを得なくなり、勇気をだされたと小職は理解致しております。其の翌朝の本社社長室は、入室早々から丁々発止が始まり双方怒鳴り声の応酬となり、隣室の秘書室は、誰もデスクに座れる状態でなく皆さん社長室での事の次第を最後まで見守られていた報告が、河田の別ルートからオンタイムで入って参りました。 

その結果として、渡邉社長から社長特使に対して「お前がこの件を知るわけがない、誰がお前にこの件を話しここに来た」と問い詰められた特使は、逃げ場を失い「河田である事を露呈した」との報告もオンタイムで入って来たのでした。私は、社長特使は長年元政治記者であったのですが、情報の守秘義務を怠ったかと残念でした。

しかし、これは、特使を責められず「人は自身の事でない限り弱い心の誘惑に負けてしまうのも仕方のない事」、と理解し勇気を持って社長室に今朝乗り込まれた事に感謝した。事の次第は、昨夜想定した通りに運んだので驚きはしなかった。此の後、本件に付いての折衷案を出し監督も協力をさせて頂きましたが、水野氏側は、折衷案を利用、活用したかは定かでありません。

本件の結論は、長嶋茂雄監督の水野賢一氏(自民党公認候補)への千葉9区での立ち合い応援演説は行いませんでした。結果、水野賢一氏は、1996年秋の衆議院選に落選されました。此のことが要因で小職は、199712月末日を持って「長嶋茂雄編成統括常務取締役兼監督補佐」を退任致しました。 

まとめ

 丁度この時期は、ホームに広島カープを迎えての「メークドラマ」完結を迎え監督胴上げを見届けました。しかし、これ以降日本シリーズの対ORIX戦を迎えた神戸スタジアムでは、試合前にガルベス投手が前々日の東スポ記事(六本木での女遊びの記事)に激高して東スポ記者をトイレに軟禁する事件を起こしその処理を終え、次に水野選挙応援演説問題に関しての内部の不穏な動き(これを契機に河田を排除して、長嶋を無力化し森祇晶氏を擁立しようとする本社内部のアンチ長嶋派が動き出す)、社長からの清原選手FAの懸案事項と対西武・国土対策、落合選手の処遇、桑田投手問題、等々と山積していた時期でした。

このような状況下での日本シリーズの神戸スタジアム。小職がホームプレイトの後ろの球団ブースで試合の戦況を確認しているその姿が、バックスリーンのスーパービジョンに映し出されて(関西テレビ中継)、その姿が生中継されていたのだそうで、ブースのテーブルに両肘を付き両手で顎を支えて唯一点を凝視していたその姿をマスメディア(週刊誌記者)は、見逃さなかったようです。この時の私の心境は、山積している難題の整理と今後の処理の手順とそのPRIORITYを考えていた時の映像であったと思います。その最初のプライオリティーは、翌早朝に東京のホテルの一室に清原選手を呼んでいる事であったと記憶しています。その映像テープは、今も著者の手元に保管してあります。

スポーツ界には、政治は必要不可欠です。只、政治、政治家がスポーツに私的な欲望と利得を絡めそれを権力で無理強いするとバランスを失い、受け身のスポーツ界は、理不尽な権力により無力を強いられることを小職は学んだ次第です

此れは、丁度近年の東京五輪組織委員会が利権屋の政治家による、利権優先を遂行した為の汚れた競技大会と化したことがスポーツへの政治介入の悪しき前例になったのと同じ教訓でした。

文責:河田弘道

スポーツ・アドミニストレイター

スポーツ特使(Emissary of the Sports

紹介:G-File「長嶋茂雄と黒衣の参謀」発行文藝春秋社 著 武田頼政

本著は、200610月発売、翌年完売の為現在はAmazonで中古オークションで入手可能。河田弘道の西武・国土計画、東京読売巨人軍での激闘の日々のドキュメントです。登場人物は、全て実名です。

Kファイル、KファイルNews Comment by Hiromichi Kawada

お知らせ:新年早々のKファイルは、如何でしたでしょうか。何だか「渡邉恒雄氏の追悼原稿」と化したようですが、この原稿からスポーツ・アドミニストレイターの仕事は、広域に跨る事をご理解、ご認識して頂けたのではないでしょうか。現在も尚、巷では「G-ファイル」が出版されるのでないかと問い合わせが、当初より在ります事は事実です。

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