Kファイル・スポーツドクトリンNO.325:長嶋茂雄氏一周忌を迎えて

 Kファイル・スポーツドクトリンNO.325:長嶋茂雄氏一周忌を迎えて

無断転載禁止        2026611日木曜日 公開

 

 河田弘道

 スポーツ・アドミニストレイタ-

スポーツ・アドミニストレイションの基軸は“Justice正義&Fairness公正

日本にスポーツ・アドミニストレイション論の必要性を紹介

日米で実践してきたスポーツ・アドミニストレイターの先駆者

(プロフィールは別途ご検索下さい)

 

目次

 著者からのご挨拶

 長嶋茂雄氏から小職への贈り物

 祈念すべき長嶋茂雄氏の思い出

 時計の重みと数個の価値

 この貴重品は、「SEIKO CREDOR

202563

 著者の回顧録より

2025616日 公開

 Kファイル/スポーツドクトリンNO.313:特別編 さらば長嶋ジャイアンツ

お別れのご挨拶

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著者からのご挨拶

 時の経つのは早く長嶋茂雄氏とお別れしてもう一周忌を迎えました。日本社会では、既に長嶋氏の話題、報道も時と共に薄れて参りました。この寂しさは、過ぎ去られた方への宿命なのかも知れません。そして、また新たなヒーローの出現を迎えるのが業界の摂理です。

長嶋茂雄氏がお亡くなりになられた昨年63日以降、マスメディアに於きましては、ご本人への誹謗中傷のみならず亜希子夫人へ、お子様方への誹謗中傷が絶えない様子です。これらは、有名税とは言え、悪質極まりない投稿並びに報道は許しがたいものがあります。その内容たるは、匿名による根拠も無いことから卑劣極まりない中傷は許しがたいです。それが今日も尚行われている事に対して、お身内の皆々様のご心痛は、如何程の物かと心よりご同情申し上げます。投稿される方々は、何故方々が存命中に実名で投稿されなかったのでしょうか。

現世を旅立たれた長嶋氏ご自身、奥様は、どのようなご心境であられるかと思うにつけ胸が痛みます。

これも一重に長嶋茂雄氏は、ご存命時に於いてご自身の哲学を守るためアンダーアーマー(鎧の下着)を着装されていた反動なのかも知れません。 

著者は、長嶋氏が特別に親交が深かった渡辺恒雄氏、中曽根康弘氏、氏家斉一郎氏らと、また長嶋ジャイアンツを殊の外応援下さった財界人達による燦燦会の有志の皆様方と別の世界で連日連夜宴を開いて古き良き時代を回想されているような気がしてなりません。

長嶋茂雄氏から小職への贈り物

 著者は、この度の長嶋茂雄氏の一周忌を迎えるに当たりまして、この機会に同氏からの贈り物(自身預かり物として理解)をご紹介させて頂きます。

本品は、約30数年間長嶋茂雄監督からお礼の気持ちで頂き、預かりました品でした。小職の気持ちは、同監督からお預かりしていたとの心境でこの貴重品を保管致していました。その本心は、自身が受けたプロとしての仕事を品物で評価されるのに少々抵抗があったのかも知れません。

しかし、不思議な事が本年5月初旬のある朝、ふと夢に長嶋さんが本当に久しぶりに現れたのでした。そして「河田さん、例の物されていますか?」、

そして、その後に「河田さんがいつもおっしゃって下さった何事もポジティブに、一日をベストを尽くせ!ゲーム終了迄諦めず、粘れ!」、と 「あの言葉は、今も明快に覚えていますよ」と、ご自身の左のリストに巻いている物を右手で締め直しながら笑っている姿でした。

その姿は、とても自然で当時一心同体で始めた東京読売巨人軍再建のころの屈託のない、輝いていたころの笑顔でした。

この日の朝は、久しぶりに素直な気持ちで「あの時計を河田さんも身に着けて下さいよ」と問われているような気がしてなりませんでした不思議な朝でした。当時のシーズン中は、毎朝早朝の散歩後に掛かってくる電話「河田さん、おはようございます。今日は何かございますか。大事な事は、、、」とのモーニングコールがその日の始まりであったことを思い出さされました。

その後は、略必ずと言ってよいほど亜希子夫人から前日の諸般の監督の周りの関係者からの出来事、問題の報告を頂いていたのが昨日の朝の様な思い出が蘇ります。

監督は、ゲームを終了した後30分間二人でのミーティングを終えた後、ご自宅か宿舎に帰りお休みして、翌朝早朝に起きて散歩に出かけるのが日課の一つでした。そのころ小職は、自宅、宿舎に戻りその日の整理、監督への報告書、翌日のプラニングを終えて午前3時が就寝する日々でした。 

本日は、朝の温かいコーヒーを二階の書斎のデスクから庭を眺めながら思い浮かべた次第でした。このような不思議な感覚は、もう久しく味わった記憶がありませんでした。

当時は、朝の起床と共に戦場に向かう身支度と心構えを整えるのが、毎朝のルーティーンであったことを思い出します。小生のデスクの上には、ジャイアンツの硬式ボール(試合前のチェックを受けたホームゲイムの硬式球)が置いてありました。

このボールには、自ら自筆で、「知力、体力、創造力、気力、最後に実行力、と明記した」硬式球を家を出る時、必ず両手で丹念にこねて自らに言って聞かせました。アウエイの時には、この魂の硬式球をそっと旅行バッグに忍ばせて、ホテルに着くなり鏡の前のデスクに置いていました。これは、毎年シーズン開幕日に新しいボールに自らを戒めるために、新しい言葉を明記して、デスクに置く事にしていました。よって、この一個一個のボールには、小職の血と汗が刷り込まれている「勝つ、勝つ、勝つという執念」が込められたジャイアンツ・ボールでありました。このボールは、今も尚黒い光沢を帯び机の上で輝いています

このことからも1994年10月8日のリーグ最終日決戦に臨む前の全軍への監督のスピーチの締めに「勝つ、勝つ、勝つ」を三度連呼して、最終決戦に臨む決起にして頂きました。その後、名古屋キャッスルホテルからバスに乗り込み、中日球場に乗り込むまで選手達の恐怖を払拭する為にも連呼させたのでした。外国人選手達(ダン・グラデン選手、ヘンリー・コトー選手)には、日の丸が付いた必勝の鉢巻き(その理由を説明の上で)をさせて高揚させたのが、昨日のように思い出させてくれます。

祈念すべき長嶋茂雄氏からの思い出

 これは、1994年の激戦の証としての「メイクミラクル」を完成した翌年の1995年の開幕日に長嶋監督から小職に試合前の30分間の恒例の監督室で二人だけの本日のゲイムプラニングのミーティングを終えた後でした。

監督から「河田さん、これは昨年私が初めて日本シリーズを制した記念と私のの気持ちで、数個特注したものです。今シーズンの開幕日に間に合いましたので、持って来たので受け取って下さい」と言われて頂いた品でした。

中身は、添付写真の通り高級時計でありました。しかし、小職は、日々明け暮れる戦場での戦いを最優先する為にこの頂きました貴重品はずっと自身のタンスの奥に保管してあった次第です。監督からの貴重な贈り物を蔑ろにしたのではありませんでした。

小職に取りましてこのような貴重な品を頂きましたのは、これで二度目であります。それは、丁度小生が西武・国土計画に在籍し1983年に同社を退任、退職させて頂く時に、堤義明社長から国土計画の社長室で手渡された記念品と社長からの言葉「僕は、西武ライオンズが無くなるまで君の事は忘れない。感謝している」と頂いた言葉は今も尚心の底に焼き付いています。この強い記憶と印象は、私が米国の大学から日本にスカウト・リクルートされた初めての日本企業でありましたことと堤義明社長が大好きだったからなのかも知れません。 

それが、その10年後にそれまで江川問題(著者は西武ライオンズが獲得権を持っていた江川卓氏の当時の唯一の担当窓口)の担当者をさせられていたのでした。よって当時は、事あるごとに東京読売巨人軍、読売新聞社と敵対していた、その敵軍の台所をお預かりする運命にあった事な当時10年前の小職には考えもしませんでした。

私に取りましては、最初で最後であった対西武ライオンズを迎えての「日本シリーズ戦」に勝利した事は非常に重要でした。西武・国土計画の堤義明社長・会長の側で、日本での生き方を学ばせて頂いた総決算でもあった次第です。

この結果は、その後自身の西武・国土計画でお世話になった方々への「ケジメ」となった次第でした。この後、西武ライオンズの清原和博選手の巨人移籍の窓口に球団の総意でさせられるとは、なんと不思議な西武絡みの縁と出来事だったのかと思わざるを得ませんでした。 

時計の重みと数個の価値

 この貴重な贈り物を頂く時の監督からの説明では、「数個」特注した中の一つですとお伺い致しました。私の記憶では、監督を含めた6名の方々のお名前とその関係に付きましては存じ上げています。

私は、その6名の方々を存じ上げているだけに私でよいのですか、と頂く時に念押しをした記憶が蘇ります。監督からは、「河田さんが在って、この偉業が成し遂げられました」と述べられた時は、これで私の使命は果たせたと監督と手を握り合いました。

しかし、今この贈り物を身に着けようとしますと、私の脳裏には、これを付けている6名の方々は、皆さんお亡くなりになられています。このことを思うにつけて、私は、今少しやり残した事があるのでまだ同じものを身に着けるわけには参らないとも思案する所であります。

この貴重品は、「SEIKO CREDOR

数十年ぶりに取り出しました。時計の計時は、当時の時間で止まっていました。翌日、時計専門店に参り先ずは動くようにして頂いた次第です。時計店では技術者が対応に当たられて、左目に拡大鏡を付け丁寧にそして慎重に内部を開き覗きながら、その担当者は、何度も拡大鏡と共に私の目、顔を上目使いで確認している様子がとても印象的でした。

私は、この時計を動くようにして下さいとだけ、お願いしたのですが担当者のその様子から何か態度が急変したのを感じた次第でした。

その技術者が発した第一声は、「お客様、これは大変貴重なお品ですね。内部には、刻印がなされています。そして、表には、YGロゴと下に33が記されています。これは、精工舎が巨人軍のメイクミラクルを祈念して何個か特注された一つと思い受けします」と疑いの眼差しで私の目を再三再四目線を合わせた様子が印象的でした。それもそのはず、この技術者は、この時計の真意など知る由もないはずでした。丁度、私は、マスクして眼鏡をかけてベイスボールキャップをして居たので、生の顔は、確認出来なかったと思います。

著者は、ここで改めて本贈り物の物理的価値のみならず成し遂げた重みを他人から教えてもらう事になったのでした。この時計は、非常に重量があり地味で品のあるまさに高級時計と称されるものであると素人ながらに感じた次第です。

此処に一周忌を迎えるに当たりまして、長嶋茂雄氏から頂きました送りものを読者の皆様にご紹介させて頂きました。読者の皆様は、長嶋茂雄氏があの世でこの時計を身に付けられて右手で何となくいじりながら照れ笑いをされている様子を是非イメージして頂ければ幸いです。 


 

 

 著者 河田弘道

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Kファイル、KファイルNews Comment by Hiromichi Kawada 

著者の回顧録より  

この度KファイルNO.313に於いては、長嶋茂雄氏へのお別れのご挨拶をさせて頂きました。つきましては、沢山の読者の皆様(古いジャイアンツファンを含む)から誠実で真摯な読後感を拝受いたしました事をご報告申し上げます。当時の懐かしい内外の関係者様方からのお便りには、「思いは同じであった」と感激致しました。

強烈な印象を残された渡辺恒雄氏、燦燦と輝き続けた長嶋茂雄氏が去られたことで、何か大切な遺産を置き忘れたかのような感じを覚えてなりません。

阿部慎之助監督率いる東京読売巨人軍は、今夜も伝統の一戦を甲子園で粘り強く戦っています。今ある戦力で十分勝利する力を有していますので、この秋を楽しみにしています。この猛暑の中であの甲子園のダッグアウトの隣の狭いGブースで査定係と戦況を見守っていた当時の小職を思い出します。

日米に於いては、MLBNPB(日本プロ野球機構)の間には主従関係のような現状からか、今後の日米の野球、プロ野球の関係が対等であることを願うのは著者だけでしょうか。ここには、大きな難問題が横たわっています。

この難問題を改善、改革する為にもNPBのコミッショナーの手腕が問われます。

NPBコミッショナーは、正義と公正(JusticeFairness)を兼ね備えたプロフェショナルなベイスボール・アドミニストレイターである事を切に願う次第です。そして、12球団のオーナーと選手会により推薦されたコミッショナーが自由に選挙で選ばれる構造とシステムに改善、改革して欲しいと願う次第です。

日本プロ野球界は、決してMLBの草刈り場にしてはなりません。NPBコミッショナーには、日本プロ野球界と野球界の発展の為に身を挺して、日本流な野球と米国流なベイスボールの良き伝統を融合した新しいプロ野球界にして頂きたくお願いします。つい60数年前までは、全国の子供達が、読売巨人軍と長嶋茂雄選手を夢見て過ごした日々が懐かしくもあります。これからは、新しい夢と希望を抱かせる日本野球界の再建を期待しています。  深謝

著者:河田弘道

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2025-06-19

Kファイル/スポーツドクトリンNO.313:特別編 さらば長嶋ジャイアンツ

無断転載禁止               2025619日 木曜日

ご紹介:199411月撮影。

写真説明:

1994108日の対中日ドラゴンズとの最終決戦を終えセリーグ優勝、そして日本シリーズでは西武ライオンズ(森祇晶監督)を撃破、長嶋ジャイアンツは、初の日本シリーズに勝利しました。

これを称してメイクミラクルと今日も語り継がれています。本写真は、日本シリーズ終了後、全ての公私の行事も終わりホッとした一時でした。この写真は、確か長女の長嶋有希さんが撮って下さったと思います。

長嶋監督はもとより陰で支えて参られた亜希子夫人が本当に心より喜ばれていた様子が昨日のように思い出しましたので読者の皆様にご紹介させて頂きます。 

 ご縁あって、長嶋ジャイアンツのお手伝いをさせて頂きありがとうございました。ご冥福を心よりお祈りいたします。

河田弘道

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2025619日 木曜日   公開

 Kファイル/スポーツドクトリンNO.313:特別編 さらば長嶋ジャイアンツ

お別れのご挨拶

 長嶋劇場は、長嶋茂雄氏自らの手で開演され天の神様に導かれてこの度2025年6月3日、午前6時39分に終演なされました。

長嶋茂雄は、いつまでも光り輝いています。

日本野球界に燦燦と輝いた長嶋茂雄選手、監督に心よりお疲れ様でしたと申し上げます。これからは、亜希子夫人の生前のご苦労をねぎらわれてください。そしてご家族の皆様の御多幸と平和を祈念致します。 

北海道から沖縄までの長嶋ファンの為に僕は、生涯東京読売巨人軍に居たいのです。「河田さん分かって下さい」との正直な本音を小職に懇願されたあの日の言葉は、強く私の脳裏に刻み込まれています。そしてその願いを最後まで監督は貫徹されました。

監督の苦しかった第一次監督時代の理不尽な解任事件、第二次長嶋全権監督時代の殺伐とした人間関係、人の心の醜さを実体験され学ばれその全てを胸に収めて参られました。

小職は、その事実を共に味わい、自身の職責と責務を肝に銘じ誠心誠意、降りかかる火の粉を振り払いながら、その奥に潜む権力に正面から立ち向った次第でした。メイクミラクル、ドラマは、このような内政に先ず勝利しなければ勝ち取れませんでしたことを監督は十二分にご理解されていましたが、ご自分では何ともしがたい部分であったようです。

あの長嶋スマイルは、陰湿極まりない組織・グループに内在するアンチ長嶋派の人達の利得と利権争いに耐え抜かれた結晶であります。その心の痛みと傷は、小生もいつまでも共有させて頂いております。 

1997918日の水上健也読売新聞社会長、渡辺恒雄社長・オーナーとの紀尾井町での昼食会に於いて、監督は、当日の朝小職との信義、奥様との信義をも反故にされました。他界で奥様にお会いされた際には、本件の心変わりを是非誠実にご説明されお詫びをなされてください。あれは、人として決してやってはならない事でした。

最期までご自身の為に長嶋茂雄は、永遠に不滅との信念を貫かれました。そこには、長嶋劇場を演じるための主役の覚悟と演技力が必要でした。長嶋さん、もう誰からの視線もありませんので演技は必要でありません。どうか奥様のもとにお戻りください。そこが一番監督の帰る居場所なのです。

小職は、監督の懐に入れて頂き憧れの長嶋茂雄選手の史実の一旦を見届けさせていただきました。退任後2年間監督から復帰の要請を何度も青山のウラクで頂きましたが、私の心は動きませんでした。その根拠は、監督に申し上げました通り男の信義はそんな軽薄軽率なものであってはならないということを申し上げたかった次第です。長嶋茂雄監督と一心同体でメイクミラクル、そしてドラマを完成させて頂けたことに心より感謝いたしております。  深謝

河田弘道

元東京読売巨人軍

常務取締役編成統括兼監督 補佐

199211月要請あり、1993年準備期間とする、19942月契約、1997

12月契約満了を持って退任、退団。

文責:河田弘道

スポーツ・アドミニストレイター

スポーツ特使(Emissary of the Sports

紹介:G-File「長嶋茂雄と黒衣の参謀」発行 文藝春秋社 著 武田頼政

本著は、20061013日発売、翌年完売の為現在はAmazonで中古オークションで入手可能。河田弘道の西武・国土計画、東京読売巨人軍での激闘の日々のドキュメントです。登場人物は、全て実名です。

お知らせ:

 kファイルNO.325は、如何でしたでしょうか。懐かしい「メイクミラクル、ドラマ」の裏舞台の一旦を覗かれたお気持ちは?

競技スポーツは、八百長が無い限り筋書きのないドラマです。スポーツ・アドミニストレイターは、勝利する為に最大限ルールを活用するのもプロとしての業務なのです。孤独との戦いは、何事も運営、管理者の使命なのです。

この度は、東京読売巨人軍の阿部慎之助監督が家庭内に置いて暴力事件を起こされ逮捕されたことを報道機関からの連絡で知ることになりました。この事件の前には、前監督の原辰徳氏が選手時代に神戸の女性問題で事件を起こし、その後球団からは何のお咎めもペナルティーも無い、けじめもつけず監督を長年続けて参っていました。歴代の監督の中でこのような倫理に反する行為をした監督は、後にも先にもこのお二人の報道以外には記憶がありません。

この度の阿部監督は、確か3年契約の最終年で昨年3年で監督業を辞めるとの発言を耳にしていました。最期までお務めを遂行できず無念であられると思われます。球団側は、もしきちんとした契約書があるなら契約書に基づいた事件後の処理をされたのだろうと推測致す次第です。

阿部氏は、野球の技術に特化した才能を持たれていたようでした。同氏が中央大学硬式野球部に入部した時から特定のプロ球団と関係があったかの噂が学内ではありました。このような事件が明るみになるたびに、中大野球学校のみに通うのではなく、入学された商学部に置いて教育を通して教養を身に着けて欲しかったと願うのは、小職だけではありませんでした。当時の大学長は、阿部問題に対して毅然とした態度で中大商学部のプライドを堅持された事は立派であったと思います。

一部阿部氏の監督復帰を願って嘆願書が読売側に手渡されたと耳にしていますが、この様な方々は、何を視点に評価されているのか、何か他に体があっての事なのか素朴な疑問を持ちます。これを機会に阿部慎之助氏は、バランスの取れた社会人として再出発して頂きたく心より祈念致している次第です。

ご家族には、それぞれ家庭内の問題を抱えている事でしょう。結果には、因果関係があるのも事実でしょう。本件に付きましては、阿部監督、長女、次女氏が報道されていますが、阿部夫人、お子様方の母親としての本件への振る舞い、言動が一切封印されているのが非常に気がかりです。

東京読売巨人軍には、また新たな歴史が刻み込まれました。球団は、監督を推薦する場合は是非先ず身体検査を怠らない事が鉄則です。

オリンピックのメダリストだった事だけで、人として、リーダーとして、指導者として適切か否かは全く別問題であるのと同様です。今後の為にも、、、。

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