Kファイル・スポーツドクトリンNO.326:保健体育はスポーツ医科学への名称変更が適切か

 

Kファイル・スポーツドクトリンNO.326:保健体育はスポーツ医科学への名称変更が適切か

無断転載禁止        2026年7月23日木曜日 公開

河田弘道

スポーツ・アドミニストレイタ-

スポーツ・アドミニストレイションの基軸は“Justice正義&Fairness公正

日本にスポーツ・アドミニストレイション論の必要性を紹介

日米で実践してきたスポーツ・アドミニストレイターの先駆者

(プロフィールは別途ご検索下さい)

 目次

1.色あせて行く体育の名称

初めに

体育から保健体育へ

構造的問題を放置する理由

日本と米国に於ける本質的な違い

Ⅱ.激変して行く米国の教育界に於ける変革

大統領権限の発動に伴う教育現場の実態

教育の現場に於ける混乱と実態

大統領令に伴う各州の末端に於ける悲劇

  日本の雇用制度は米国人にとっては楽園

  競争力を失った日本の教員雇用制度

Ⅲ.スポーツ医科学に吸収されていく保健体育

保健体育と競技スポーツは何故混同して理解されているのか

スポーツ・アドミニストレイションの必要性

―――――――――――――――――――――――――――

I.色あせて行く体育の名称

初めに

 著者は、日本に於ける体育に関する概念が戦後から今日迄基本的に同じ歩みを続けて来ていると思います。

その根拠は、文科省庁に於いては身体運動能力測定のみが体育の主たる年中行事のごとく発表されているだけのように思えてならないからです。仕事をしているならもっと堂々と文科省、スポーツ庁は、広報活動を行うべきでしょう。その測定結果を今後いかに教育機関に於いて教育の場で活用し生かすかの具体策が提供されていないのでないでしょうか。即ち体育の教育の現場では、体力の低下の状態を如何にマニュアル化して、成果と結果がでるよう専門家による研究の成果と結果の提供を待ち望んでいるのではないのでしょうか。このような現実的な発展が見受けられない様に思えてならないのですが、読者の皆様は一般的にどのように感じられていますでしょうか。近年体育(Physical Education)の用語すら表現から消えて行く現実を目の当たりにしているからです。 

ご承知の通り本来体育は、教育学分野に於ける一学問であり学科目であります。しかし、わが国に於いては、戦後急速な時代の流れに伴い体育の本質が置き去りにされてしまったのです。その大きな要因の一つは、オリンピック大会がビジネス化、プロ化(1975年を起点に)に舵が切られたことでした。

この前後から体育は、告知力のある競技スポーツの津波に巻き込まれ、体育本来の本質が競技スポーツと混同され今日に至っております。

体育の概念は、時間と共にその重要性も薄れ、非常に教育界では昔ながらに軽視された学問、学科から脱皮できていないのは昔も今も同じではないでしょうか。

 今日では、教育界に於ける教育の荒廃と共に体育への期待も重要性も聞こえて参らないのが現実です。聴こえてくるのは、教員、指導者の体罰、セクハラ、パワハラ、等の暴力行為の実態がマスメディアを通してネガティブなイメージばかりが教育界のみならず社会の一般的な理解と認識になっているのも事実です。その典型的な問題の一つが保健体育の教員が今日も肩書を替えて(顧問、部長と称して)競技スポーツの指導、運営、管理に携わらせている事への矛盾です。部長、顧問は、どのような業務と職責なのか全く明文化されていない為に責任の所在すら不明なのです。

体育から保健体育へ

 体育は、本来読んで字のごとく「人の身体を育てる」ことであります。この言葉は、英語では「Physical Education」と翻訳されている事から「人の心身の健康を教育の中で育てる」事を趣旨、目的にした学科と理解された方がより一般的であるかと思われます。

 この体育の概念は、戦後近年になって新たに「保健」という用語が加わり、体育の本質に健康の維持、増進を目的とする事が明確に表記されるようになったのです。そこで我が国に於いては、名実共に「保健体育」と名称も新たにされたのでした。

 保健体育と名称も新たになってから、わが国に於ける専門の教育機関に於いては、保健体育に関わる専門分野、部門と称して沢山の学問に分化され、それに伴う肩書を持った専門家と称される教員、指導者、研究員が出現し今日に至っている次第です。残念ながらこれらの専門家と称される大多数の関係者は、体育とスポーツ、等に関する学会に所属しそれぞれ活動しているようですが、この学会員達が果たして保健体育に何を還元し、何を実質もたらし貢献しているか否かは、非常に疑わしいのが現実なのです。

 著者に言わせると大学教員の大多数が・・・学会と称される集団に加盟して会費を払い複数の学会の肩書を使用しているのも、肩書を得るための会費であり、肩書社会で生きて行くための手段であり、職安のような団体、組織であると思われても仕方あるまい。

そこで役員をしている大学教員達は、その肩書は平会員より遥かに商品価値を実感しているので役員改選時に立候補するのです。このような教育界の教育者と自称する人達に置いてもこのような利権獲得に明け暮れている会員達も少なからずいることも否定できまい。但し、真面目に学問として地道な研究をして論文を学内外、学会内で発表されている教員も多数いることも事実です。しかし、その論文、発表が何に役立っているか否かは、全く不透明であるのもこれまた事実であります。このような研究論文をマスメディアが一切取り扱わないのもこれまた、保健体育の分野を軽視しているのと商品価値が低いというマスメディア独特の評価がそこにあるのかも知れません。このような広報活動に於いても各学会には、それを専門とする広報担当役員がいますが、これもまた肩書のみで機能していないのが現状のようです。

 構造的問題を放置する理由

本来、体育の趣旨目的と競技スポーツの趣旨目的は、相反するものなのです。何故我が国の教育を統括管理する文科省、スポーツ庁、地方自治体の教育委員会は、未だ理解も認識も出来ないのでしょうか。これは、スポーツ・アドミニストレイションの学問すらない我が国の実態の大きな欠点なのかも知れません。或いは、このような無責任で理解不能な構造的な問題にしておくことでどこかの団体、組織、運営、管理者の職務を有利にさせ利得、権益を守るための利権構造なのかも知れません。

 この度のKファイルでは、本件の現実を垣間見ながらどうしたら国民、社会で体育が競技スポーツと混同されない為の抜本的な変革の必要性と米国の現状と現実を織り交ぜて比較することによりもっと広い視野での知見が国の政策を司る方々に必要不可欠であることをお伝えしたいと思う次第です。

 日本と米国に於ける本質的な違い

異なる制度が教育の発展を阻んでいるのかも知れない。過去に本Kファイルで何度かとりあげた記憶があります。両国の決定的な違いの根本は、教員の雇用制度なのです。

 ①教職の有資格者は、採用試験を雇用の基準にした半永久雇用制度を採用しているのに対して、②他方では、教職有資格者、及び教員経験者は、契約雇用制度の下、契約内容に同意して採用され契約条項に従っている事です。この雇用制度には、一長一短あることも事実でしょう。それは、わが国では起きない事が米国に於いては起きている。また、その逆もあるのも事実であります。

   日本の雇用制度の特徴は、採用が確定すると職場規定、刑事罰を犯さない限り決められた雇用年数(定年)迄、本人が退職を申し出ない限り雇用が継続される事です。給与面に於きましては、定年退職するまで年12回の給与と年2回のボーナスが支給され、また昇給に付きましては、年功序列と役職手当が保証されている事が本制度の基本的な特徴なのです。 

   米国の契約雇用制度の特徴は、採用は、公募、推薦、リクルートによる採用方法により、各教育機関の校長、大学学部長が採用権限を有する事から校長、学部長の面談を基本として、採用が決定されます。契約年数の基本原則は、初年度は短期契約が通常で、契約期間中の評価により次年度の契約年数、給与及びその他インセンティブが決定するのが通常です。

契約雇用の原則は、雇用者、被雇用者共にフェアネスを原則として、契約に対する交渉は双方で自由に発言できます。よって、契約満了の一カ月前には、双方契約更新の拒否権を有するのが特徴であります。

   此処で日本と大きく異なるのは、毎学期行われる教員の授業に対する学生のアンケイト調査は、次回の教員契約時に大きな評価の対象となる事です。

日本の学生による教員、授業に対するアンケイト調査は、全く何の意味もなさず唯形式的な米国の大学の真似事をしているにすぎないと著者自ら中央大学で経験済み、日本の大学のアンケイト調査は、調査機関も独立しておらず、大多数の大学に於いては担当教員がアンケート用紙を自ら回収する為その後担当教員による不正が横行しているのもよく存じています。これこそが契約雇用制度で無い為、学生達は、自己の成績評価はされても担当教員に対する評価が出来ない為に不適切な教員に対して何の処分も処置も大学側が行わない欠点があるのです。教員側は、何か問題が生じると教職員組合に逃げ込み、匿ってもらうという手段を持っているのです。 

このような基本原則から、①②③の雇用形態並びに不公平な実態を比較しても根本的に異なる採用方法により異なる問題が起きるのも事実であります。

 日本型:半永久的雇用形態で採用をされた場合、教員が諸般の規定を犯したり、本来の教員としての能力に問題があっても雇用者側は、その教員の雇用を解除することが非常に難しい現実があり、この様な多くの問題の教員を一度抱えると次の問題を引き起こす要因となるのもこの採用方式の問題なのです。 

米国型:契約雇用制度に於いては、①のような問題は起きないのです。その根拠は、教員として採用後に起きるであろう問題点を想定して契約書に条項、条件が明記されており、即契約解除の項目が序列されています。これを破った教員に対して、校長、学部長権限が発動されることが明記されているからです。それに対して教員側は、同意する署名を採用時にされているという事です。

この様な雇用制度は、その国の宗教、文化、歴史、等の慣習から合理的且つ単純明快なルールと規則により理解しやすい利点があります。

一方の日本的な浪花節文化に慣れ親しんだ談合社会では、契約雇用制度は非常に窮屈です。此のことから、わが国は、法治国家でありながら約束事を守らない、契約書をリスペクトしないのはこのような歴史的、文化的違いが大きく影響しているのかも知れません。 

「守らない人間に対しては厳罰に処す、等々」の法治国家では、理解しがたいのが日本の伝統的な制度そのものかも知れません。

しかし、近年の国際社会の変動と状況から、日本のようななれ合い、談合文化は、既に世界の先進国の文化から取り残されてしまったようにも思えてならないのが、今日の政治家の個々のご都合主義の政治活動からも顕著に表れてきているのではないでしょうか。

II.激変して行く米国の教育界に於ける変革

大統領権限の発動に伴う教育現場の実態

 トランプ大統領就任と共に発せられた大きな出来事の一つは、「人類は男女のみを認めるがその中間は認めない」とする明快な発言と発動は今日大きな波紋を広げています。その中でも、2028年に開催を予定しているロサンゼルス五輪に於いては、女子選手で男性化した選手の競技への参加は認めない、とする大統領令を発動した事は有名です。

即ち、この問題を転機にWA(世界陸上競技連盟)のセバスチャン・コー会長は、トランプ大統領の発言、発動後、即WAとしての見解を発表した事は読者の皆様もご承知の通りであります。その内容は、WAに於いては五輪、世界選手権、等に於ける女子選手の資格に関して、その予選会から各国の陸上競技団体に対して、代表選考競技会に参加する選手達にWAが定めた「遺伝子検査」を義務付け、定められた基準値の閾値を超えた選手は、参加を認めない事を告知したことです。

トランプ大統領は、28年のLA五輪に参加する競技者は、女性か、男性かを明確にした証明書を携帯しない女性選手は、入国を拒否する事を通達した次第です。その後、米国内の全ての五輪参加する競技団体は、この通達を受け従う事に同意されています。 

教育の現場に於ける混乱と不安

 昨年20251月下旬にドナルド・トランプ大統領は、教育に関する二つの大統領令に署名しました。

それらは、学校選択制度の拡充と、人種やジェンダーについての「反米的」思想を含む強化への政府予算の差し止めが主たる内容でありました。

学校選択制度の拡充とは何か:

 大統領は、「両親が(学校を)選び、子どものしつけや教育の方向付けをするのを手助けするのが政権の政策だ。幼稚園から高校までの12年間、指定された公立学校でうまくやれていない子どもが多過ぎる」ことを先ず挙げた。これは、各州が学校を「選択できる取り組み」を支援するために連邦予算をどう使うかを巡り、教育省に指針を出すよう指示していると思われます。

人種やジェンダーについての「反米的」思想とは何か:

 大統領は、「ジェンダーと不公平性のイデオロギー」に関する教科や教員認定なのに政府予算を使う事を止めることがこの主たる狙いであった。 

その後、2025年3月にドナルド・トランプ大統領は、政府機関の教育省の廃止を指示する大統領令に署名したのでした。そして、これまでの教育省が持っていた教育に関する権限を各州に移管する事を明言したのです。この根拠は、「教育省が多額の政府予算を支出しているにもかかわらず、学力向上に貢献していない」事を理由としてあげました。さらに大統領は、教育に関する権限を各州に移し、奨学金制度や障害のある子どもの教育プログラムなどは、ほかの政府機関に移管するとしています。

本来この様な大統領令は、議会の承認が必要です

しかし、大統領は、政府の教育予算の削減の具体的数値を発表し、本年20266月の公立の小、中、高、大の教育現場に於いてはこの通達が既に実行されているのです。 

大統領令に伴う各州の末端に於ける悲劇

明日は我が身に

昨年の大統領令に伴う教育費の削減は、本年度の公立教育機関の期末を前に4月、5月には既に各州の教育担当局は州内のカウンティー(郡)、シティー(市)の教育担当部門に伝達がなされていました。そして、その結果として各市の教育担当部門は、小、中、高、大学に対する来年度分の教育予算の減額が伝えられ、それに伴った人件費の削減に着手していたことが伺えます。

米国の公立教育機関では、人事権が各校長、学長(総長)に委任しているので、州、郡、市の教育担当局、教育担当部門から正式な予算の内示を受けると共に人件費、その他の予算編成に取り掛からなくてはなりません。そこで校長は、教職員に対する非情なスクール・アドミニストレイターとして使命を遂行を余儀なくさせられるのです。この首切りは、常勤、非常勤を問わず、また、必要、不要を問わず校長から指名を受けた教員は校長室に呼び込まれて、具体的な人事の非情な結論が通達されるのです。

この通達を受けた教職員は、雇用契約期限の一カ月前に言い渡されることが契約書に書かれている次第です。校長は、その契約書に沿った手順で個々の教員、職員に対して「Layoff一時解雇」が言い渡されるのです。著者は、校長職、学部長職、大学長職経験がありませんので、どのような基準で教員、職員のLayoffが決められるのかは存じ上げません。

本年度5月中旬に校長、学部長から言い渡された教員、職員の方々は、現在の夏休み中に次の職探しに奮闘されている事に違いありません。

日本には、米国の様な「Layoff制度」はありませんので緊張感も想像できないと思われます

日本の教職員の立場にある方々には、このように米国の契約雇用制度の厳しい競争しながら働いている姿をご想像して頂く事で、何か学ぶところがあるのではないでしょうか。

米国の教職員の雇用契約書には、夏休み期間(3カ月)の給与は支給されておりません。よって、この3カ月間は、無休であるということです。そして、この3か月間は、自由な期間なので異なる仕事を持たれ収入を得ていると理解されて下さい。そして、契約書には、皆様のような年二回の賞与も支給されません。その意味では、皆様方の半永久雇用形態は、米国の教職員からしますと天国の職場と羨ましがられると思います。

日本の教職員の中には、夏季休暇中の出勤、業務に対して不平不満をいつも耳にします。あなた方は、何か大きな勘違いをされているのではないのでしょうか。皆様方は、夏季休暇中も有給であること、夏の賞与も受けている事を忘れていませんか。

III.スポーツ医科学に吸収されていく保健体育

保健体育と競技スポーツは何故混同して理解されているのか

 保健体育は、元来Ⅰ.で述べました通りしっかりとした理念とコンセプトのもとに位置している筈でした。しかし、近年殊の外TV.マスメディアの発展、発達によりオリンピック競技スポーツをはじめとするその他競技スポーツの発展が、映像を通じて一般視聴者を通して一般社会に1964年後急速に拡散されたことから、教育機関に於いては、一般体育の指導者達が競技スポーツの華やかさの誘惑の虜になり、本来の地道な体育の指導に収まりきらなくなったのでした。

そこで手短な校内の課外活動から部活動に至る部門の指導に携わるようになったのです。このことから体育の分野、部門を司る教員、指導者達は、競技スポーツの指導者としての二束わらじを履く、履かせられるようになったのです。このことが今日の保健体育の本質が蔑ろにされ、兼任教員、指導者達は、校内、父兄、近隣社会から体育の指導者として以外の特別な視線を浴びる優越感に溺れ初め、競技スポーツは、体育の教員が指導、管理を行っていることが体育の本質を間違えた礎を形成したと申して過言でないと著者は、思えてならないのです。

 体育実技は、スポーツと切り離せない関係性を持っている事も混同された大きな要因の一つであります。そして、殊の外体育の教員を輩出する専門大学から各種競技スポーツの五輪代表選手、メダリストが排出され、そのメダリストである事だけで大学の体育教員として教授職まで与えられる時代となったことで、より競技スポーツと体育がその指導者のみならず、教育界の関係者が混同してしまった根拠がここに大きく横たわっているのです。

近年体育は、競技スポーツの重要な聖地であるかの誤った政治家、大学経営者、大学管理者を出してしまった事は文科省庁に真のアドミニストレイターが不在している事の証ではないかと著者は長年その歩みを観させて頂いております。

体育の理念趣旨目的と競技スポーツの理念趣旨目的は、相反す事を明確にお伝えいたします

スポーツ・アドミニストレイションの必要性

このような社会に於ける保健体育の現状と環境の中で、今後どのようにして保健体育と競技スポーツの理解と認識を国民とその社会に新たにして頂くかは、重要な論点であります。体育の教員は、本来の教育部門の体育学科に戻って頂く事です。競技スポーツに携わる指導者、運営、管理者は、競技に必要な専門科目を習得して頂き、体育の専門学位ではない競技スポーツの指導者に必要な専門学位を取得して頂く為の学部、学科に籍を置く事です。そこでは、競技スポーツの指導ライセンスを取得して頂きます。そして将来スポーツ・アドミニストレイターとして活動されることを希望する方には、経営、運営・管理ライセンスを取得する事を義務付け、スポーツ・アドミニストレイションの修士課程を収めて頂く必要があります。特に大学競技スポーツに携わる責任者、管理者(例:監督業務に携わる)は、少なくともその専門課程を修了した修士学位取得者であるべきだと著者は、強く確信する次第です。

これにより保健体育を主体とした体育専門大学の看板は、自ずとして無くなり新たに「スポーツ医科学」を主体とした看板が必要不可欠となって参るのです。保健体育は、このスポーツ医科学の1学科としての扱いでよいのでないでしょうか。

これに伴い保健体育の分野、部門として、健康スポーツ、リクレイションスポーツ、他、保健体育から分化するのもよし、保健体育から分離独立するのもよいのでないでしょうか。米国の大学では、後者の方向に進んでいます。

以上簡単ですが述べさせて頂きました。何かお役に立っていれば幸いです。

文責 河田弘道

スポーツ・アドミニストレイター

スポーツ特使(Emissary of the Sports

紹介:G-File「長嶋茂雄と黒衣の参謀」発行 文藝春秋社 著 武田頼政

本著は、20061013日発売、翌年完売の為現在はAmazonで中古オークションで入手可能。河田弘道の西武・国土計画、東京読売巨人軍での激闘の日々のドキュメントです。登場人物は、全て実名です。

お知らせ:

 本NO.326は、保健体育はスポーツ医科学への名称変更が適切かについての根拠を述べさせて頂きました。また、保健体育と競技スポーツの混同が保健体育の教育としての必要性を根底から崩してしまった本質的な問題であることも述べさせて頂きました。

未来の体育の分野、部門の重要性を再構築する為にも体育の関係者が、目先の派手なパフォーマンスに惑わされたり、利害、利権の為に競技スポーツに脚を踏み入れ、口出しする事はご容赦願いたい。また、その逆で競技スポーツ、その世界で商品価値が落ちたので体育分野、部門に舞い戻りタレント気取りで口出し、手出しする事は、トラブルの根源となっている事はおやめになって頂きたく願う次第です。

 著者の夏季休暇のお知らせ:

 著者は8月のKファイルの掲載を休ませて頂きます。暑い夏の季節の訪れで体調管理が大変な時期と思います。どうか読者の皆様は、ご無理をされず有意義な夏場を乗り切られてください。いつもKファイルへの叱咤激励の読後感を頂いております愛読者の方々には、心よりお礼と感謝を申し上げます。

 

コメント

このブログの人気の投稿

Kファイル/スポーツドクトリンNO.312:目を覚ませ佐々木朗希投手

Kファイル/スポーツドクトリンNO.319:米国のファームと化すのか日本の競技スポーツ界

Kファイル・スポーツドクトリンNO.322:TV地上波から消えたWBCの悲劇