KファイルNO.195:東京五輪の疑獄は招致活動がその原点
KファイルNO.195:東京五輪の疑獄は招致活動がその原点
無断転載禁止 毎月第二、第四木曜日掲載
スポーツ・アドミニストレイター
日本に初めてスポーツ・アドミニストレイション論を導入
日米で実践スポーツ・アドミニストレイターの先駆者
プロフィールは別途ご検索下さい
目次
東京五輪は政治家と電通が画策した公費ボッタクリ五輪
1.東京五輪組織委員会・会長選考に構造的な問題と欠陥
2.大義無き東京五輪の末路
3.結論
Ⅰ.東京五輪は私的利権、企業利権の奪い合い
■組織委員会の主な人員の大半が忖度関係者か
■組織委員会の理事・評議員はお飾り
Ⅱ.1984年ロス五輪組織委員会の構造はシンプル
P・ユベロス氏の強烈なビジネス手法
■スポーツ・ビジネスの明快なコンセプト
☛ユベロス氏の着眼点
■何故米国の広告代理店でなかったのか
■企業電通が巨大スポーツ電通に変身したその礎
Ⅲ.数兆円の公金を投入した建設費用の決算報告は何処に?
■東京五輪招致、組織委員会がロス方式を無視した理由
KファイルNO.195:東京五輪の疑獄は招致活動がその原点
無断転載禁止
東京五輪は政治家と電通が画策した公費ボッタクリ五輪
東京五輪組織委員会の森喜朗氏を会長に選考した時点でこのような汚職事件が山積するであろうことを初期のKファイルに既に明記されています。何故ならこの選考には、「Justice正義&Fairness公正」が欠落していたからです(闇は既にこれ以前の招致から始まっていた)。即ち、不適切な人物が東京五輪組織委員会の総責任者にアンフェアーな方法で選ばれたという事です。
不適切な人物としてのその誹りは、森喜朗氏にコンセプチュアルスキル(Conceptual Skill大局を掌握できる能力)が備わった人物、人材とは過去の同氏のキャリア、言動、行動、実績から認められないからです。此の役職には、知識や情報など複雑な事象を概念化し、抽象的な考えや物事の本質を理解するための概念化能力が求められます。しかし、日本政府、東京都、JOCは、同氏にその能力が有る無しの評価基準を明確にせず、その選択の機会を都民、国民、社会に提供しなかったからです。このトータルマネージメント力の有無は、巨大スポーツイベントの統括責任者を選考するに当たる上での必要で不可欠な重要なファクターであり能力の一つなのです。悲劇は、森氏が選んだ組織委員会のキャビネット、理事達、評議委員達の取り巻きはイエスマンばかりで強力に真にサポートできる人物が居なかったのも事実です。
この事は、僭越ながらKファイルの初期から今日迄述べ続けて参りましたが、関係者の皆様方、マスメディアは、私利私欲に突っ走る政治家達と権力を掌握していた広告代理店電通への忖度に追随され目がくらんでしまったという事のようです。この度、結論を先に申し上げますのは、時事のマスメディアの報道は起きた現象・事象の各論ばかりを取り上げる事から視聴者、読者の皆様は大局を把握できなく混乱だけを招いている日々の報道ではないでしょうか。そこで、KファイルNO.195は、結論ありきとさせて頂いた根拠は此処に在ります。
このKファイルNO.195は、時事の話題を最大限取り入れながら東京五輪の招致活動、組織委員会の設立、その後の電通主導にならざるを得なかった理由を明快に読者の皆様に分かりやすく解説させて頂けたらと願うしだいです。
2.大義無き東京五輪の末路
スポンサー絡みの汚職事件が主体となって、東京地方検察庁の特捜部は、その捜査と解明に日夜全力を投入されている様子が伺えます。
広告代理店電通は、2014年に既に東京五輪組織委員会から「マーケティング専任代理店」に指名された広告代理店でした。組織委員会が電通を指名した経緯は、Fairnessを逸脱したこれまた「随意契約(入札でなく単独指名)」であった事です。即ちこれは、随意契約にする意思が個人の思惑が働き、他社を入り込ませない意図が此処に在ったのです。
このことが、後に高橋正之担当理事が関わる広告代理店他社(博報堂、東急エイゼンシー、AOK(旧アサツー)、大広、等々)の大手広告代理店及びその翼下の代理店の高橋詣でが始まり、贈収賄事件を醸成し、沢山の逮捕者を出し司直の手に委ねられているのです。これからも更なる逮捕者が出ると予想されています。
また、これらに関する事件として、森泰夫氏(組織委大会運営局元次長容疑者(56)=独占禁止法違反容疑で逮捕、日本陸連出向職員)が主導した運営に関するテスト大会、本大会への広告代理店、ポロダクション、イベント会社、等への口利き、収賄、等々の事件が進行中、この運営絡みと広告大店、プロダクション絡みの贈収賄事件に発展し、収拾がつかない事態に至っている次第です。
しかし、此処に至っても組織委員会の森喜朗会長、山下泰裕副会長、竹田恒和元副会長、武藤事務総長は、記者会見、説明せず国民と社会は誰から本不祥事に付いて説明があるのか。我々日本国民の社会的通念からしましては、このような状態を放置すること事態非常に不謹慎な責任者達の態度と見識の様に思えてなりませんが、如何でしょうか。この方々は、東京五輪に於ける汚職の一丁目一番地であるように思えてなりません。読者の皆様の見識を是非伺いたいと思います。
今日尚、誰もが語らぬ触れないのか、更なる重大な問題に未だ地検特捜部は、着手されて居ないのか、マスメディアが伏せているのか気がかりです。
3.結論
東京五輪の失敗(現時点では汚職事件多発)は、高質・高潔なコンセプチュアルスキルを持ったスポーツ・アドミニストレイターが居なかった事が今日の東京五輪疑獄汚職事件を招いた大変シンプルな結論です。
あえて申し上げるならば、組織委員会の本来の姿は、東京五輪組織委員会・会長、副会長3名、事務総長の合計5首脳で十分運営、管理ができます。東京五輪の悲劇は、此の首脳陣達にスポーツ・アドミニストレイターとしての能力が欠落していた事であった思われる次第です。
此れに反して模範的な五輪の運営・管理を演じたロサンゼルス五輪の統括委員長のPeter・ユベロス氏は、プロフェショナルなスポーツ・アドミニストレイターと言われる所以です。
その根拠は、東京五輪組織委員会(略:TOCOG)の統括責任者の森喜朗氏の職務・職責が明文化されていないのに対して、ロス五輪組織委員会(LAOOC)の統括責任者のP・ユベロス氏の職務・職責は、明確に明文化されています。また、P・ユベロス氏は、選考前、選考後にもスピーチを行い「約束事」を明確に告知しています。そして、彼は、その約束事を見事遂行して完結しました。
東京五輪の公式名称は、「公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会」です。
先ず初めに
2022年7月8日の安倍晋三前首相が暗殺された後、東京五輪組織委員会の高橋正之氏(スポンサー担当理事)に家宅捜査が入り、その疑惑の企業、経営者等への家宅捜査と間髪入れずの逮捕劇は、安倍晋三氏の死を契機に今日迄本格的な地検の捜査が展開されています。
年明けた2023年今日では、犯罪が2016年から組織立った構造に組み立てられていたことが今日の電通への家宅捜査で明らかになって来たのです。その根拠は、電通から組織委員会に大量の兵隊(社員)が送り込まれるに至った中で送り込まれた中のリーダーが、当時電通本社の担当役員から発破をかけられた時に、その状況報告を電通本社に於いてプレゼンテイションを行ったのです。このプレゼンテイションの資料の資料が、先日特捜部の家宅捜査に寄り押収された資料の中に明記されていた事が明らかな証拠として採用されるのでしょうか。即ち東京地検の電通本社への家宅捜査の資料から動かぬ証拠が見つかったとの報道もなされています。
このように組織委員会のトップ管理者達と電通は、最初からこのようなシナリオを企て、乗船し合っていた事が地検捜査により、段々と全容が解明されて行っているのであります。
■組織委員会の主な人員の大半が忖度関係者か
東京五輪は、評議委員会、理事会に於いても東京五輪を開催するに当たって十分なキャリアの有る人材を採用されて居なかった事が最大の悲劇を招いた要因の一つであったと思われます。その最大の問題は、組織委員会の役員及び採用した専門家と称する人達の資質の多くが知識のみの実践キャリア不足で、只組織委員会に入りたい、やりたいと興味と野心を抱いていた人達が大半の様でした。また1000名にも及ぶ都庁からの出向者達は、都からの支援を強調する為の頭数をそろえる為の採用であった事も大きな問題でした。この様な人材で東京五輪が開催できると安易に考えた、組織委員会の担当役員方の思考力がこのような醜態と悲劇を晒せた根源となっています。
森喜朗会長以下、神輿の担ぎ屋さん達(同氏の取り巻き連中の事)は、経営、運営、管理のノウハウも専門知識も無く分不相応な職務、職責の肩書を有し、楽して美味しい獲物にありつく事を夢見るためか、役職、責務に必要な「マネージメント力」が欠落している事を気付かなかったのでしょうか。
このような組織委員会の内部の現実は、電通の首脳、元電通のOB達に見透かされていたのです。そこで電通は、電通社員のゲリラ部隊を編成して組織委員会の重要ポストになだれ込んで来たと言いうのが当初からの政治家・電通首脳の企てた筋書き通りなのかも知れません。このことから電通の社員達は、組織委員会事態を電通の私物と認識していた様子が今日の特捜捜査家宅捜査の資料からも浮き彫りになって来ています。
★森喜朗氏の神輿の担ぎ手の能力では、如何ともしがたい日々の状態から「電通に丸投げせざるを得なかった」というのが、偽りのない事実であったと理解する次第です。ある意味に於いて、森喜朗氏以下遠藤利明氏、各五輪相、武藤事務総長達は、招致活動当初よりこのような電通丸投げ方式を目論み、政治家、電通の思惑が一致した時点で、電通の実戦部隊を東京五輪組織委員会に招き入れ受け入れたのも、もとはと言えば、組織委員会幹部が素人集団であったという事なのでしょうか。東京五輪招致、経営、運営、管理は、政治家の私欲と電通の企業欲が一致して遂行された東京五輪事業であると考えられます。如何でしょうか。
このことは、組織委員会の実態が明らかになっても、その事実を修正する勇気も無く、組織委員達の醜態を隠すために電通部隊の軍門に下らざるを得なかったというのが真に起きた哀れな組織委員会の実態であったという事です。これは、まさに東京五輪組織委員会の事業部門(ビジネス)の利権を全て電通に委ね、その対価として組織委員会の政治家達は、電通から何をせしめたのでしょうか。
ここで申し上げたいのは、組織委員会の会長選考に際して、誰が森喜朗氏を推薦、任命したかは全く情報公開されませんでした。森喜朗氏は、五輪招致当初より東京五輪は電通在りき、を大前提にし自ら電通丸に乗船して今日も尚神輿に鎮座している事が、最悪の事態に陥ったとの反省のかけらもない様子すです。
■組織委員会の理事・評議員はお飾り
この状態を見据えた、電通と電通OBの一人高橋正之氏は、委員会のスポンサー担当理事の席を狙い奪い、組織委員会の国内スポンサー、運営の金の動く部局に電通直属の兵隊達に役職を与えてなだれ込ませた事が、これまた組織委員会の森喜朗会長下のぶら下がり忖度マン達の無能を電通に逆手に取られた要因であったようです。しかし、この一連の人事に許可を与えたのは、他でもない東京五輪組織委員会、会長の森喜朗氏に他ならないのです。
電通にとっては、組織委員会はド素人集団で機嫌よく威張らせて、毎夜宴会させて寝かせて置けばよい程度にしか見立てていなかったことがこの度の地検特捜部の家宅捜査の資料から沢山のとんでもない証拠が出てきたことで裏付けられて行っています。電通にとって、組織委員会の重鎮達は、赤子の手を捻るよりも簡単だったに違いなかったのでしょう。
一方巷では、地検特捜部では「水戸のご老公」をお縄にする事は難しいであろうとの大方の見方をしているようです。勿論そのご老公が何方かは、日本人なら皆存じているようです。何故難しいのでしょうか?これもまた日本社会の伝統的な縮図なのでしょうか。
当時ロス五輪組織委員会(略:LAOOC)委員長のPeter・ユベロス氏は、IOCの総会での招致に関するプレゼンテイションで、“84ロス五輪は、国、州、市の公金を一切使用しないオリンピック大会にする”と公約束したのです。
~84ロス五輪大会組織委員会・委員長の手法とその決断~
84ロス大会組織委員会の委員長は、選考基準の公開や、選考方法の事前告知を経て、応募者600名の中からフェアーな選考委員会(利害、利得を得る可能性の低い、その分野と社会からリスペクトされている人物)により選出されました。2020年東京大会の組織委員会・会長は、どのようにして選考されたかご存知ですか。少なくとも私は、存じ上げません。
東京大会組織委員会は、会長の選考方法も情報公開も国民、都民にはなされず、いつの間にか森喜朗氏が鎮座してしまったような記憶しかありません。
これを見ましても我が国は、グローバル化を声高に叫びながら実は伝統的な隠蔽と談合体質から抜け出せない悲しい現実が、21世紀の今日も尚、現存している事を理解して戴けたのでないかと思います
P・ユベロス氏の強烈なコンセプトとそのビジネス手法
■スポーツ・ビジネスの明快なコンセプトとは
P・ユベロス氏のビジネスは、「権利=Right」を最大限生かす為の手段と方法に特徴を持ったのです。
そのコンセプトは、何かが「制限」されて初めてその「制限を制限すること」ができる。つまり「権利」の意味が生じることです。
権利が与えられても、権利を持たない者との区別がなければ、やはり意味はないのです。権利の有無により区別が無いなら、なんとかして「差別化」を図って区別を作り出す事が必要であると考えたのです。
権利を持たない者に対しては、制限を強くする程、その「制限を免除される権利」自体の価値が高くなることは明白です。誰もが使えると言うのは、誰にも使えないというのと同じに、その使用自体には価値が生じないのです。
権利の重要なポイントは、「権利」という商品は物理的に存在しないのです。
一般の商品とは性格が異なる点に着眼したのです。
「無体財産権」は、「知的財産権」とも呼ばれ、知的にしかその存在は認められないのです。その意味は、「権利=Right」の質、価値は、価格(お金)でしか評価できない」と言う事を実践して見せたのがユベロス氏なのです。即ち、スポーツに権利ビジネスを持ち込んだわけです。(以上、同氏のビジネスコンセプトより)このようにP・ユベロス氏は、確りとした論理的なコンセプト基盤を持って実践された、いわゆる知的戦略、戦術家であったと思います。
☛ユベロス氏の着眼点
ユベロス氏は、「オリンピックに必要なものは、大きな競技場ではなく、問題は、その競技場に何台のテレビカメラを入れられるかだ」と断言したのです。
①
一つ目の着眼点-
彼の視点は、スポーツ・ビジネスを如何にして実践し、成果を出すかの徹底したコンセプトが伺えます。それは、オリンピック自体をテレビ放送用のスポーツ・エンターテイメントとして位置付け、放送権利の売買を行うビジネスの道を開拓したのです。
この大会以降、スポーツイベントの放送権料が右肩上がりを始めたのは、ユベロス氏の功罪のうちの罪の部分であるところです。
②
二つ目の着眼点-
スポンサーシップという形で民間資本を活用する事が、唯一の財源を確保する術であると位置づけた事です。そして、その為には、巨大な広告代理店(Advertising Agency)の協力とその活用方法に着目したのです。
重要項目の一つの民間企業から得るスポンサーシップに付いては、権利をより強固にするため、一業種一社制を取り入れた事です。これにより、スポンサー広告の価値はより効果的且つ、競争原理導入でより効果が高まる事を期待したのです。(例:車のスポンサーは、世界で一社のみ)
★広告代理店の早期選考に着手
広告代理店には、ビジネス的な権利を与える代わりに、ロス大会を成功させるために必要最低限のギャランテイー(保証)方式を取り入れて、大会成功の財政的な基盤を確保する事でした。その為には、代理店を先ず選考、指名することを最優先としたのです。
ユベロス氏は、当時日本がバブル経済を迎え、日本企業がまさに海外にマーケット(市場)を求めている事を強く認識していました。そのため、ターゲットとして日本の広告代理店「電通」を心の底では期待していたのではと推測します。しかし、誰にも心中を明かさず、彼の賢さが伺えます。
そこへ、まんまと飛び込んでいったのが電通でした。P・ユベロス氏に直接、接触を求めて行ったわけです。
■何故米国の広告代理店でなかったのか
P・ユベロス氏と広告代理店電通との関係は、元々縁もゆかりもありませんでした。よって、ユベロス氏や物事は、最初から電通ありきで動き出したわけではなかったのです。
AE制度とは、
米国の広告代理店制度は、日本とは異なり非常に厳しい制度の下で成り立っている業界です。その最大の特徴は、米国の広告代理店は、AE(Account Executive)制度が法律によって守られており、即ち一業種一社制度の事なのです。一業種一社とは、一つの広告代理店が同じ業種の代理店になれない事を意味しています。例えば、A広告代理店がフォード社との代理店契約をした場合は、同じカテゴリーのトヨタ社の代理店にはなり得ない事を意味します。 つまり、米国の広告代理店ではスポンサーセールに於いて、ユベロス氏が考えるような競争原理を活用する事が出来なかったのです。
それに比べて、日本の広告代理店は、AE制度がなく各広告代理店が一業種一社の枠を超えた、複数業種一社制度の日本の広告代理店が好都合であったのです。即ち、日本の広告代理店は、一社がトヨタ、ホンダ、日産、マツダ、鈴木、等と何社でも取り扱えるという意味です。
それでは、企業電通が何故IOC、NOC(各国内五輪委員会)に関係しているかという疑問が読者の皆様は持たれるのではないでしょうか。
企業電通は、1984年ロスサンゼルス・オリンピック大会組織委員会(略:LAOOC)の公式広告代理店として、世界で初めて組織委員会が開催に必要な予算額をギャランテイー(金銭的保証)してスポンサー広告に関する全権利を組織委員会から買い取ったのです。これは、当時画期的な出来事でした。
当時LAOOCの会長のピーター・ユベロス氏は、IOC総会での招致に関するプレゼンテイションで「84ロス五輪は、国、州、市の公金を一切使用しないオリンピック大会にする」と公言したのは、今日も語り継がれている名言です。
LAOOCは、開催予算額を企業電通が保証し、民間資本(当時90%以上のスポンサーは、日本企業)の投入により大成功を収めたのです。その上にLAOOCは、約440億円のオリンピック歴史始まって以来の黒字決算となりました。ユベロス氏は、公約通りに440億円をカリフォルニア州、市の社会施設に全てを還元し、成功裏にLAOOCの任務・責務を果したのでした。このユベロス氏こそが、真のスポーツ・アドミニストレイターの姿として当時も今日もリスペクトされている所以なのです。このような人物は、2020東京五輪組織委員会には見当たりません。
数兆円の行方と精算は、どうなったのか。何処の誰がどの様にして使ったのか、その帳簿が行方不明なのか。
五輪組織委員会のスポンサー絡みは、言わずと知れた元電通の高橋正之氏(逮捕済み)が組織委員会の担当理事として長年務めて参りました。しかし、同氏が決断、決済できるものでなくそこには、高橋氏を担当理事として役職を与え任命権者としての森喜朗氏が居るわけで、決済は森氏であったという事です。要するに東京五輪組織委員会の汚職事件から幾ら政官界、司法が擁護、庇護しようとも森喜朗氏は、この疑獄事件から回避できない立場と権力を保有している事は間違いありません。
■東京五輪招致、組織委員会がロス方式を無視した理由
このことからも、東京五輪招致委員会、東京五輪組織委員会では、一度もこの五輪招致に「ロス方式」が論議される事も無く、IOC五輪の歴史始まって以来の莫大な公金使用方式に舵を切った大罪人が居たという事です。
その理由は、ロス方式を取り入れる事で関係者達には利害、利権に有り付けない事を承知していたのです。これがロス方式を回避した関係者の意図であった思えるのは、筆者だけなのかも知れません。
文責:河田弘道
スポーツ・アドミニストレイター
スポーツ特使(Emissary of the Sports)
紹介:G‐File(長嶋茂雄と黒衣の参謀)文芸春秋社 著 武田頼政
Kファイル、KファイルNews Comment by Hiromichi Kawada
お知らせ:
読者からのお便り~
河田先生
ブログ194号、拝読いたしました。
私の勤める大学もたくさんの問題を抱えておりますが、「政治家」とも呼べない「政治屋」に食い物にされつつある日体大のような大学に勤務するストレスを思うと、今の勤務先についての愚痴をこぼすのも憚られます。前任校でもそうでしたし、どこに行っても同じなのは重々承知ですが、教員というのは本当になんの力もない存在です。大学によって良かれと思うことを実現しようにも、お金や手間を掛けたくない、という経営陣には面倒な存在とされてしまって、聞く耳をもってもらえない。
大学で一番力を持つのは本来学生(と学費を負担する保護者)のはずなんですけど、そちら側は上から餌が降ってくるのを待つ雛鳥みたいなもので、「大学とは何ぞや?」ということを知らない、あるいは学ぶ過程にあるので、なかなか声を上げてくれません。4年生になっていろいろなことがわかってきて、文句は言うようになりはしますが、もうすぐ卒業してしまう自分にはメリットがない、といった調子で…。
何百人もいるマンモス部活についても1年生は「これで大学でも競技が続けられる」2年になると「入ってきた1年に負けてしまうかも」3年になってようやく「このままではその次のレベルに行けそうにない」で、4年になって「こんなところ来なければよかった」どの競技でもいわゆる東京6大学、あるいは関西4大私学(関西大学・関西学院大学・同志社大学・立命館大学)以外の大学にスポーツ推薦で入学した学生の多くはそんな気持ちを胸に卒業していくのでしょう、もちろん、大学スポーツの制度の不備がこんな状況を放置しているのですが、誰も「おかしい」と声を上げませんし…
まだまだ寒さは厳しいです、先生くれぐれもご自愛ください。愛読者より、
河田弘道先生
Kファイルの日体大編を拝読いたしました。
主義・主張・道徳を持たぬ組織、日本人の多くが持つ特性である事なかれ主義・集団への帰属性、日本文化の同調圧力、これらが組み合わされることで起きる悲劇を、先生から多く学んできました。
学生たちは社会人経験の乏しさから、大学経営者から見たら丸め込めやすい赤子のような存在であるとみられているかもしれません。しかし私は一方で、大学生は対大学において株主のような存在(学費を払い、大学経営を最も支えている存在)と理解しております。大学運営が学生からの学費に依存しているという事実は、学生にとって大きなアドバンテージです。学生たちが一丸となって大学組織の不条理を突き、改善まで学費の支払いを拒否し、改革を迫ること。それが自浄作用を失った大学を立ち直らせる方法の一つなのだと思います。
本来崩れるべき大学の経営を、無知な学生が支えてしまっているという現実があります。であれば、最初からそんな大学には近寄らず、賢明な進路を選べるようになることが、自分のためであり世のためです。私は日体大に似た構造を持つ大学へ進学した一人であるからか、どうしても学生の立場に立って考えてしまいます。先生のKファイルが、これから進路を選ぶ学生と保護者の良き羅針盤になることを祈っております。 読者より
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